2018年10月10日水曜日

韓国映画『暗殺』(2015年)

ほぼ最高だな、おそらく日本語母語話者以外が見ると満点だと思う。日本語母語話者にとってのアラがどうしても一点だけあって、川口守の息子(満子と結婚する相手)だけは日本語がマズすぎて日本語を母語とする俳優に代えるなどの対策を取るべきだったと思う。主人公の男の方の暗殺者(ハ・ジョンウ、「田中少尉」と名乗る日本海軍の朝鮮人、他のブログを見ると「ハワイ・ピストル」と名乗るのはオ・ダルスではなくこっちらしい)の人は日本語がめちゃめちゃ上手(おそらく相当訓練されたんだろう)なのでこれには違和感なかった。申し訳ないが川口の息子役の人は日本語の発音がうまくない(だけではなさそうだが)ため、演技に説得力がなく日本人役であるという設定から浮いてしまっている。なお、俺はシナリオに関して文句があるからこうやって腐しているのではないことを強調しておく。この理由は次段で述べる。

この映画のストーリーは植民地統治下の朝鮮で韓国独立を目指す軍人による親日派朝鮮人(とついでに日本人)の暗殺を基本軸としている。日本(大日本帝国)が朝鮮半島を植民地統治したのは事実であり、かつ舞台となる1910年代は武断統治の時代でもあった上民間人の虐殺は史実通りであり、この映画における日本軍の残虐表現において一切の誇張はない。劇中で登場する第19師団の川口守による4000人弱の虐殺の件は知らなかったがおそらく史実だろう(すみません本当に知らなかった)。日本軍その他日本人は当時、朝鮮人を虐殺なり虐待する大小無数にあった事件化されない事件を犯したという史実がこのストーリーの背景にあることを念頭に置いた上でこのストーリーを評価すべきである。ましてや、「内容のツッコミどころは多く、とくに日本人将校の冗談みたいな残酷さとか」とか「歴史上国際的な大戦争において韓国人が一度も戦わなかった、戦えなかった事実を」などと言った歴史修正主義やそれに基づく人種的蔑視(または人種的蔑視に基づく歴史修正主義)を動員する批評[1]はおよそヘイトスピーチでしかなく、こういうゴミを映画評論と名乗らせるのは小川榮太郎の『新潮45』でのゴミを評論と名乗らせる行為とまったく同類の行為である。そもそも日本軍が組織として残酷であったことは史実なので、その例外があったとか、ましてや残酷などではなかったというようなデタラメの抗弁はやめるべきですが、もちろんこれが通じる話であればこの現状にはなっていないだろう。なお、ストーリーそれ自体は歴史劇ではなくてほぼフィクションなんだろうと思っている、たとえばアン・オギュン(チョン・ジヒョン)なる女性狙撃手に関しては。でもソ連とかではそういう第2次大戦の英雄とかいたんだよね、確か。忘れたけど。

さらに、上海政府が主眼とする暗殺対象はこのストーリーにおいて日本人よりは同胞の裏切り者のようである。ゆえにこれが反日だという評価はたぶんあまりないだろうけど、あったとしても的外れだということをいま上で説明したわけだ。

その上で俺が言いたいのは、川口の息子はせっかくスネオ級にいやらしい人物造形なのだから日本語母語話者のうまい俳優を当てていやらしさを存分に発揮してほしかった。中国への侵略を扱う映画だと『鬼が来た!』(2000)、『ジョン・ラーベ: 南京のシンドラー』(2009)で香川照之が日本軍将校役を演じたが、こういう感じで誰かいい人おりませんでしたろうか。

アン・オギュンが「二人を殺したら独立できるのか?」とハワイピストルに問われるシーンで「独立できなくても、闘う姿を示すことが重要」と返すところ、ここは本邦の現状に照らしてもめちゃめちゃ重要なんだろうと思っている。まあ俺は戦えない類いの人間なのでここはみんなにがんばってほしいですが。このセリフ一見しただけでは、ただの精神主義なのかなと思うけども、まあでも結局戦う姿しか「戦え」というメッセージを発することができないのだろうというのはわかりますね。本邦での民主化の戦いというのはどうやって広がりうるんだろうか、それをずっと考えてますね。まあみんながんばれよ。

シナリオに関してはダルタニアン物語の『鉄仮面』と似たところがありそうだ、というか俺が見たのはアメリカ映画『仮面の男』(1998)であったが。ならべて見ると、一人二役で双子を演じるという共通点がある。ディカプリオはルイ14世/フィリップだったのと同様に、チョン・ジヒョンはアン・オギュン/満子の一人二役だった。同一のフレーム内に二人を同時に入れるという映像技術はそりゃ20年前からあるものなんだろうがいずれにせよ凄い。あとハ・ジョンウはめちゃめちゃかっこよかった。

参照文献

  1. ^ 前田有一 (2003). 「『暗殺』70点(100点満点中)」. 超映画批評. 2018年10月10日閲覧; しかし、批評ページにある著作権情報から判断するに、このレビューは2003年に書かれた様子である。2015年の映画をどうやって2003年に見ることができたのか不思議でならない。

0 件のコメント:

コメントを投稿