この見解を長谷川豊や古市牛丼憲寿や落合陽一に適用すると、さしづめ「もし透析患者が透析患者であるというだけで、終末期患者が終末期であるというだけで凄まじい憎悪の対象となるのなら、長谷川豊や古市牛丼憲寿や落合陽一には人間らしい道徳観が欠如している」ということぐらいは言えそうです。 古市と落合の対談については以下のコメントとリンクがかつて記事が存在していたことを示している以外、その対談記事自体はweb上には存在していないようだ(魚拓を除く)。『文學界』は要は記事を消してトンズラこいたわけです。『マルコポーロ』の文芸春秋らしい道徳感のなさをよく表しているな。中にはどうも狂信者ばかりのようだ。ドイツで移民擁護派の政治家射殺される、ネットに歓迎ヘイト投稿殺到 https://t.co/BDFesStCtH 《ホルスト・ゼーホーファー内相は「もし誰かが、リベラルな見解を持っていたというだけで凄まじい憎悪の対象となるのなら、それは人間らしい道徳観が衰退しているということだ」》普通に日本ですよね。
— C.R.A.C. (@cracjp) June 10, 2019
なんだこりゃ。落合陽一氏も古市憲寿氏も、どうかしてるんじゃないの。高齢者を「既得権益」と見立てて、いわば「姨捨山を現代にどうやって復活させようか」と相談している。あんたらも今は若いけど、年取るんだよ? それとも永遠に若いつもりか? https://t.co/LqFUS9y1Me
— 想田和弘 (@KazuhiroSoda) January 2, 2019
0 件のコメント:
コメントを投稿