2019年6月11日火曜日

優生学をぶちかましておいて恬然として恥じない長谷川豊や古市憲寿や落合陽一には人間らしい道徳観が欠如している

この見解を長谷川豊や古市牛丼憲寿や落合陽一に適用すると、さしづめ「もし透析患者が透析患者であるというだけで、終末期患者が終末期であるというだけで凄まじい憎悪の対象となるのなら、長谷川豊や古市牛丼憲寿や落合陽一には人間らしい道徳観が欠如している」ということぐらいは言えそうです。 古市と落合の対談については以下のコメントとリンクがかつて記事が存在していたことを示している以外、その対談記事自体はweb上には存在していないようだ(魚拓を除く)。『文學界』は要は記事を消してトンズラこいたわけです。『マルコポーロ』の文芸春秋らしい道徳感のなさをよく表しているな。中にはどうも狂信者ばかりのようだ。

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