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2020年5月5日火曜日

映画『太陽の蓋』見た

菅直人じきじきの宣伝なのでおっとこれは『フクシマ50』の逆プロパガンダなのかと思って身構えながら見たが、意外と良かった。菅直人が偉かったのではなく、為す術がない中でとりあえずできることだけやりましたみたいな話になっているのでまあ及第点なんだろうか。事故の翌日現地へヘリで見にいったことと、原子炉が爆発してから東電本店に乗り込んだことの功罪については正直だと思う。細かい点は忘れたが大鹿靖明『メルトダウン』以上に新しい話はたぶんない。1日目夜の時点でもうすっかり溶けていたとかそういうことは後になってわかる話なので説明をつけといてもよかったと思う。2015年時点であれば分かっていたはずである。

しかし製作陣がビビりすぎで政治家は実名なのにそれ以外の固有名詞が微妙に違う。原子力安全委員会の班目は万城目だし官邸詰の東電フェロー武黒は名前が出てこないエキストラレベルなのが腹立たしい。原子力安全委員会は公職なので実名を避けるという判断はあり得ない。海水注入を中止するよう福島第一に電話したのは誰かという質問に対してそこに登場する人間の名前を言わないのがおかしすぎる。ビビりすぎである。本邦映画界にできる精一杯の良心はこの程度ってこった。だいたい主人公が官邸記者クラブ所属の全国紙記者っていうのもな。「この後こいつらは首相と飯を食って腐敗していったので日本は沈没することになる」というキャプションが必要な奴らですからね。

2018年10月10日水曜日

韓国映画『暗殺』(2015年)

ほぼ最高だな、おそらく日本語母語話者以外が見ると満点だと思う。日本語母語話者にとってのアラがどうしても一点だけあって、川口守の息子(満子と結婚する相手)だけは日本語がマズすぎて日本語を母語とする俳優に代えるなどの対策を取るべきだったと思う。主人公の男の方の暗殺者(ハ・ジョンウ、「田中少尉」と名乗る日本海軍の朝鮮人、他のブログを見ると「ハワイ・ピストル」と名乗るのはオ・ダルスではなくこっちらしい)の人は日本語がめちゃめちゃ上手(おそらく相当訓練されたんだろう)なのでこれには違和感なかった。申し訳ないが川口の息子役の人は日本語の発音がうまくない(だけではなさそうだが)ため、演技に説得力がなく日本人役であるという設定から浮いてしまっている。なお、俺はシナリオに関して文句があるからこうやって腐しているのではないことを強調しておく。この理由は次段で述べる。

この映画のストーリーは植民地統治下の朝鮮で韓国独立を目指す軍人による親日派朝鮮人(とついでに日本人)の暗殺を基本軸としている。日本(大日本帝国)が朝鮮半島を植民地統治したのは事実であり、かつ舞台となる1910年代は武断統治の時代でもあった上民間人の虐殺は史実通りであり、この映画における日本軍の残虐表現において一切の誇張はない。劇中で登場する第19師団の川口守による4000人弱の虐殺の件は知らなかったがおそらく史実だろう(すみません本当に知らなかった)。日本軍その他日本人は当時、朝鮮人を虐殺なり虐待する大小無数にあった事件化されない事件を犯したという史実がこのストーリーの背景にあることを念頭に置いた上でこのストーリーを評価すべきである。ましてや、「内容のツッコミどころは多く、とくに日本人将校の冗談みたいな残酷さとか」とか「歴史上国際的な大戦争において韓国人が一度も戦わなかった、戦えなかった事実を」などと言った歴史修正主義やそれに基づく人種的蔑視(または人種的蔑視に基づく歴史修正主義)を動員する批評[1]はおよそヘイトスピーチでしかなく、こういうゴミを映画評論と名乗らせるのは小川榮太郎の『新潮45』でのゴミを評論と名乗らせる行為とまったく同類の行為である。そもそも日本軍が組織として残酷であったことは史実なので、その例外があったとか、ましてや残酷などではなかったというようなデタラメの抗弁はやめるべきですが、もちろんこれが通じる話であればこの現状にはなっていないだろう。なお、ストーリーそれ自体は歴史劇ではなくてほぼフィクションなんだろうと思っている、たとえばアン・オギュン(チョン・ジヒョン)なる女性狙撃手に関しては。でもソ連とかではそういう第2次大戦の英雄とかいたんだよね、確か。忘れたけど。

さらに、上海政府が主眼とする暗殺対象はこのストーリーにおいて日本人よりは同胞の裏切り者のようである。ゆえにこれが反日だという評価はたぶんあまりないだろうけど、あったとしても的外れだということをいま上で説明したわけだ。

その上で俺が言いたいのは、川口の息子はせっかくスネオ級にいやらしい人物造形なのだから日本語母語話者のうまい俳優を当てていやらしさを存分に発揮してほしかった。中国への侵略を扱う映画だと『鬼が来た!』(2000)、『ジョン・ラーベ: 南京のシンドラー』(2009)で香川照之が日本軍将校役を演じたが、こういう感じで誰かいい人おりませんでしたろうか。

アン・オギュンが「二人を殺したら独立できるのか?」とハワイピストルに問われるシーンで「独立できなくても、闘う姿を示すことが重要」と返すところ、ここは本邦の現状に照らしてもめちゃめちゃ重要なんだろうと思っている。まあ俺は戦えない類いの人間なのでここはみんなにがんばってほしいですが。このセリフ一見しただけでは、ただの精神主義なのかなと思うけども、まあでも結局戦う姿しか「戦え」というメッセージを発することができないのだろうというのはわかりますね。本邦での民主化の戦いというのはどうやって広がりうるんだろうか、それをずっと考えてますね。まあみんながんばれよ。

シナリオに関してはダルタニアン物語の『鉄仮面』と似たところがありそうだ、というか俺が見たのはアメリカ映画『仮面の男』(1998)であったが。ならべて見ると、一人二役で双子を演じるという共通点がある。ディカプリオはルイ14世/フィリップだったのと同様に、チョン・ジヒョンはアン・オギュン/満子の一人二役だった。同一のフレーム内に二人を同時に入れるという映像技術はそりゃ20年前からあるものなんだろうがいずれにせよ凄い。あとハ・ジョンウはめちゃめちゃかっこよかった。

参照文献

  1. ^ 前田有一 (2003). 「『暗殺』70点(100点満点中)」. 超映画批評. 2018年10月10日閲覧; しかし、批評ページにある著作権情報から判断するに、このレビューは2003年に書かれた様子である。2015年の映画をどうやって2003年に見ることができたのか不思議でならない。

2018年9月23日日曜日

フランス映画『木と市長と文化会館 または七つの偶然』(1993)

『木と市長と文化会館 または七つの偶然』を見た。まあおもしろい、とくに教師の娘の10歳のゾエがよい。しかし登場人物がしゃべりすぎである。ただしゃべるだけの場面がものすごく多い。

2018年9月19日水曜日

イギリス映画『未来を花束にして(Suffragette)』(2015)

まあしかし公安警察がいかにも公安警察なので受ける。見逃してやるかわりに転向してスパイになれと迫ってきたり、みなさんどうにかがんばってください感が半端ない。主人公モードに対して「お前は所詮使い捨ての歩兵にすぎない」と公安が賢しらぶると、てめえだって歩兵じゃねえかと返してぐうの音も出ない(かどうかは知らないが)公安警察にまじ受けた。

こういう警察が棍棒使ってためらわず弾圧する様子とか転向を迫るシーンとかいうのを表現できるかどうかというところは、やはりその国が(というより作り手が)民主化というか近代化できたかできなかったかというバロメータ感ありますね。権力の行使について批判的になれるかどうかって作り手の視線の高さを表すわけですから。翻って、本邦にこういう映画または表現を部分的に持つ映画というのはあるだろうかと考えるとまあ知らんのですがなさそうですという点で本邦の映画はほぼどれもこれからも糞なんじゃないですかね。こういう部分を評価するという視点があってもいいものです、この部分が作品の出来にどれだけ寄与するかは俺は知らんが。

というわけでこの話は韓国映画の『サニー 永遠の仲間たち』と共通する良さを持つ。で、本邦での『サニー』リメイクが見る前からおそらく糞であると俺が確信しているのも同じ事情による。まあ実際本邦の多くの映画作家には無理だと思います。でもまあひとつだけ、NHKドラマ『ワンダーウォール』にはちょっと期待していたのだが見逃した。

しかし主人公モード役の女優さん Carey Mulligan は『プライドと偏見』(2005)にも出ていたとは気づかなんだ。当時はあんまり美人でない設定の役だったような気もするが。

2018年9月15日土曜日

アメリカ映画: 沈黙シリーズ『沈黙の戦艦』『暴走特急』

沈黙の戦艦 (Under Siege) (1992)

Producer:
Arnon Milchan, Gary W. Goldstein, Steven Seagal, and Steven Reuther
Director:
Andrew Davis
Cast:
Steven Seagal, Tommy Lee Jones, Gary Busey, and Erika Eleniak

暴走特急 (Under Siege 2: Dark Territory) (1995)

Producer:
Arnon Milchan, Gary W. Goldstein, Steve Perry, and Steven Seagal
Director:
Geoff Murphy
Cast:
Steven Seagal, Eric Bogosian, Katherine Heigl, Morris Chestnut, and Everett McGill
しょうもない話ではある。まあでもおもしろいのです。合気道すげえなという話には(あまりならない)けども、まあ合気道をハリウッド映画で紹介してくれてありがとう感はございます。スティーブン・セガールありがとう。どちらかと言えば合気道は『刑事ニコ』の方が気合入っている。

2018年9月12日水曜日

イギリス映画『ジェーン・エア』(2011)

ジェーン・エア (Jane Eyre) (2011)

Directed by
Cary Joji Fukunaga
Produced by
Alison Owen and Paul Trijbits
Starring
Mia Wasikowska, Michael Fassbender, Jamie Bell, and Judi Dench
まあ大変ですね。変な話だわ。ジェーン・エアが行く先々でモテてモテて困る、またはMMK (死語) という筋書はこれマルキ・ド・サド『ジュスチーヌまたは美徳の不幸』とそっくりじゃないかと思うのですが、こっちは映画にはなってないんでしょうか。高慢と偏見のほうがずっとめでたしめでたし感あってマシですな。ミア・ワシコウスカ役のジェーン・エアは中でロチェスターのだんな様に「美女ではない」とか言われてるんだが、俺が思うにミア・ワシコウスカをつかまえて美人ではないとか恐れ入るなという感じである。

2018年9月9日日曜日

イギリス映画『プライドと偏見』(2005)

『プライドと偏見』(日本公開2006)

製作:
ティム・ビーヴァン, エリック・フェルナー, ポール・ウェブスター
監督:
ジョー・ライト
キャスト:
Keira Knightley, Matthew Macfadyen, Brenda Blethyn, Donald Sutherland, Tom Hollander, Rosamund Pike, Jena Malone, Talulah Riley, Carey Mulligan, and Judi Dench
スタジオ:
Working Title Films, StudioCanal

イギリス映画『プライドと偏見』(2005)を見た。多読でこの手の古典がくだらなすぎるために、Oxford Bookworms シリーズで読めるものを増やせるかと思って映画でストーリーを予習したわけです。

しかし凡庸な感想しか出てこないがキーラ・ナイトリーが綺麗すぎて弁が立ちまくって表情が変わりまくるのがたいへん素敵である。これがプロの女優さんなのかと思うとともにまあともかく綺麗すぎてつらい。ダーシー氏でなくとも1000回はプロポーズしたくある。キーラ・ナイトリーが素敵すぎるだけなのか女優としての演技がピカイチなのかは当方には全く区別がつかないが、ただキーラ・ナイトリーが死ぬほど素敵であった。キーラ・ナイトリーの綺麗さと素敵ぶりが動態保存されているだけでもうこの映画は永久保存版的価値がある。知らんけど。キーラ・ナイトリーはこの10年後ぐらいにアラン・チューリングの話『イミテーション・ゲーム』にも出てくるのを見たのでさかのぼってこれを見ることにしたわけです。もちろん10年後も綺麗だった。

話はなんというか、思っていたほどはつらくなかったが、200年前の恋愛小説というとこういうものかと理解した。めでたしめでたしで終わるのがやはり正統派。英語は聞きとりやすいのでなんというか、英語字幕にしてもいいんではなかろうか。ロザムンド・パイクも出てくるが脇役の扱いである。007ジェームズボンドの上司M役でおなじみジュディ・デンチが超イヤな奴の役で登場するところが受ける。『刑事フォイル』のブルック(警察署の受け付けにいる警官)役も出てきた。

  1. Bevan, T., Fellner, E., Webster, P. (Producer), & Wright, J. (Director). (2005). Pride & Prejudice [Motion picture]. United Kingdom: Working Title Films & StudioCanal.

2018年9月7日金曜日

中国映画『鬼が来た!(鬼子来了)』(2000)

見た。香川照之がいいと言うよりは、むしろ姜文がすげえ感ある。よい映画かはわからんが大日本帝国の歴史を背負うべき立場の人は見るべきだな。日本語で書かれた当記事を読んでいるお前だ。お前のことだよ。

Wikipedia によると、この映画にはいくつかの版があるようで、
  • 2000年カンヌ映画祭で上映された3時間版
  • 姜文も参加して商業受けするようにカットした139分版
  • 2014年のコーナーハウス・マンチェスター(アジア・トリエンナーレ・マンチェスター 14 の一部) で上映された161分版
というわけらしい。なので、日本に存在するのはこの中央の139分版である。なんというか、もっとカットされてないやつが見てみたいですわね。東京国際映画祭の人とかやってくれんかなと思うんだけど、瀬島龍三あたりが始めたらしいので、今もその息のかかった大日本帝国臣民人脈が映画を買いつけてるんじゃないでしょうか。

イギリス映画『天使の分け前』(2012)

見た。けっこうおもしろい。

2018年9月1日土曜日

アメリカ映画『悪の花園』(1954)

メキシコで金鉱がどうのという話。アパッチ族を悪魔化するというのが人種差別の一手法ということでよろしかったのでしょうか。

主人公はゲイリー・クーパーという白髪のおっさんだがスリムで腕も立つというやたらかっこいいおっさんであった。 その昔はさらにかっこよかったようである。ジェームズ・ボンドになりそうな感じやな。 リチャード・ウイドマークというのは脇役なのか知らんが男前なのに最後死んでしまう。 スーザン・ヘイワードという女優は当時きれいとされた特徴を備えていたようだ。

2018年8月30日木曜日

アニメ映画『聲の形』(2016)

アニメ映画『聲の形』(2016)を見た。まあよくわからんのですが、ストーリー上の説明が足りなくて最もわからなかった点は石田をみんなで川からひっぱり上げたのは島田とかだ、というところだ。植野がそう言うのだが、石田は硝子を助けた後にマンションから落ちたのではなかったのか(この点ネタバレ)。どの点の話なのか。最初の170万円の封筒を置いた時の話か。

石田も西宮も一人親家庭だったり、石田の姉の夫は(おそらく)日系ブラジル人だったりしてて、大垣のあたりの事情をよく反映した設定なんだろう。なんというか縁遠い世界だ。

総体として話をどう評価していいのかはよくわからん。思うに、加害者の主人公が被害者と和解もせずに仲良くなる話というのは、聴覚障害の事情をどれだけリアルに表現していたとしてもありえないという印象を受ける。西宮の母親も久しぶりに石田に会って平手打ち程度で済むというのもちょっとあれ。普通なら「二度と関るな」とか警告したり裁判所に西宮の自宅と学校から半径0.5kmの接近禁止命令の仮処分を申請とかするんじゃねえの常識的に考えて。そんなことできるのか知らんけど。

でもこの作品がだめだというのでもない。なんというか美しさはある、ただそれがいいのかよくわからん。加害者が自責の念に苛まれるのと、被害者の自己肯定感が低まりまくってどちらも死にたいというのが平行する理屈はまあわかる。でもなんでそれで和解もする前から被害を受けた側が加害側に「ちゅき」とか言っているのかという感じがあって、これは理屈が通らない感じがある。加害側にやたら都合のいい展開であるという印象は拭い切れない。被害受けた方は加害者見たら逃げるだろ、西宮が久しぶりに石田に会った最初の時のように。それがなぜ最初の1回だけなのかという感じが不自然に感じられてどうにも。見ただけで足がすくんで腰が抜けるぐらいいじめたのでないと転校せんだろと思うので、まあよくわからん。

良くも悪くも日本人が作る物語という感じはある。泣くのは登場人物の勝手だが、それをそのまま映像表現にされてもわからん。映像表現の点ではもっと因果関係が明示的になるよう作ってくれんかなと思う。いずれにせよ、涙の描写で何かを表現しようとするのがちょっと安すぎる感じがして俺は好きではないです。なんというのかこういった直接的な表現を避けられないものか。たとえば、「主人公は常に下を向いている(た)」ということの映像表現を全員の顔に×としたのはすごくおもしろかった。下を向くのをやめた、ということの表現として×がひらりと取れるというのもいいと思う。その延長として、どうして「石田が泣く」とか「西宮が泣く」ということの映像表現は「泣く」しかなかったのか。ここがちょっとあれ。病室から起きて橋に来た石田を幽霊ではないかをたしかめようとして、西宮が石田を指でつつくのとかもすごくいいな。

しかし久しぶりに本邦のアニメ作品を見た。某『サマーウォーズ』よりはよほど真剣に考えた感じの話なので俺はこっちの方が好きです。

2018年8月28日火曜日

イギリス・アイルランド映画『麦の穂をゆらす風』(2006)

イギリス・アイルランド映画『麦の穂をゆらす風(The Wind That Shakes the Barley)』(2006)を見た。まあこのストーリー事態はフィクションなんだろうけど時代背景は歴史に基くものだ。まあ大変な話ですよ。こういうの見て大変さが理解できるというのはまあ正気なんじゃないかと思います。この話はアイルランド自由国が成立する1920年前後の話なので、同じくケン・ローチ監督の『ジミー、野を駆ける伝説』はこの10年後が設定になっているわけだ。

『オックスフォード事件簿』の若い頃のモースの上司のサーズデイ警部補のロジャー・アラムも出てくるし、『ゲーム・オブ・スローンズ』のスタニスの騎士だった元密輸業者のサー・ダヴォス役のリーアム・カニンガムも出てくる。ロジャー・アラムは超脇役で途中で処刑されてしまう地方の領主だけど、リーアム・カニンガムは記者の運転士でそのあと義勇軍に志願して主人公と共に戦い敵は金持ちだよと説得する超男前の役だった。ゲームオブスローンズのサー・ダヴォスと共通するキャラクターの作りだった。とにかくリーアム・カニンガム演じる男ダンが超絶にかっこよい話なので見る機会がある方はどうぞ。

2018年8月25日土曜日

ドイツ映画『ヒトラー暗殺、13分の誤算』(2015)

「ヒトラー暗殺、13分の誤算」(2015)というのを見た。いやーすげえわ。おわり。 暗殺みたいな手段であったとしても反体制の闘士として名誉が回復されるのほんますげえな。 よくネトウヨが言うところの「平和主義者のくせに暴力なんて手段が主張と矛盾ー」という話にはどう答えるかの ヒントになっているな。要は矛盾してないってことなんだけれども、「平和主義」の意味を個人の行動原理としての「非暴力」を指すものだったとしたら たしかに競合はするかもしれん。だからまあそういうのはやめたほうがいいんだと思うわけですね。個人の行動原理としての非暴力をやめようという ことではなくて、憲法9条の戦争放棄は国家に対する命令だという理解から一歩も外に出なければいいだけの話だろうと思うわけです。そうすると たぶん人民の権利としての抵抗権と矛盾するところはないんじゃないのかな、知らんけど。

エルザーの行為は抵抗権を行使するための条件を見たす(とはいっても吹替のせいか明示的ではない。原語だとどうなんだろうか?)と彼の役によって語られる場面がある。それ以外の手段はもう封じられたと、収容所に入れられた友人の共産党員に話すシーンがたぶんそれだ。 直観的にはわかるんだけど、抵抗権(革命権)というのは個人の権利として理解するのは難しそうな気がするので(なぜなら個人で他人を傷つけるのは基本的人権の侵害だから)まあよくわからん。他の手段はなく、国家権力という集合を空にするような試みだからOKだという感じでしょうか。

「憲法9条を素直に読むと自衛隊は違憲」の暴力性、といった理屈を考えつく関東在住のネトウヨ法哲学者であればもちろん上記のようなネトウヨ的見解を支持する理屈を思いつくのでしょうけれど、まあそういうのに反論するのは誰かやってくれや。

2018年7月31日火曜日

アメリカ映画『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』(2014)

アメリカ映画『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密(The Imitation Game)』(2014)を見た。たいへんよかったので 伝記をいつか読みたいと思う(いつ読めるようになるのかは不明。まったくもう、英語力のなさに受ける)。あと、実際の歴史との差を知りたい。俺、それでも計算機科学をちょっとだけ勉強したんだぜ?彼の業績をまったく理解していない俺があまりに無様で受けるな。英語の壁と数学の壁と両方がある。

うまいこと脚色されている点はあるにしても、本邦においては題材となる歴史的事実も、それを娯楽映画に昇華させるだけのスタッフも(当然)存在しなさそうなので、 これが先進国かイギリスすげえな、という小学生並の感想をまず思いうかべた。

題材となる歴史的事実それ自体の良さ(?)はもちろん映画そのものの出来とは無関係とは断っておくけれども、 枢軸国との戦争に勝利するためには数学者その他の専門家が要るという、戦争を不可避の前提とした場合の、それ自体は比較的まっとうと言える判断がその例だ。本邦だと昨今の文科省の行状やアジア太平洋戦争を見ても明らかなように素人などの狂信者がデカい顔をするところは本邦の由緒正しい伝統っぽいわな。Twitterを見る限り、大学やその研究者が文科省にいいように振り回されているのを見る(例.佐野太氏の「ようはどうやってだますかですよ」に怒る人々等)ので、まあ他人事ながら大変やなわははと見ているわけです。というような違いが厳然として存在するわけだ。

そしてこれらの数学者が戦争にどう協力したかという文書が戦後50年以上たってから明らかになる という記録の徹底ぶり。彼の協力を評価すべきかどうかは知らんし、もっと早く公開すべきだったのかもしれんが、その前提となる記録がちゃんと公開されるというのがすごいわけですよ。彼らが記録を残しているその頃、本邦では無条件降伏してからGHQが来る前に全部燃やし尽せと奥野誠亮とかがせっせと行政文書を燃やしていたわけです。ドラム缶に隠匿とかな。どうよこの違い?非文明国にようこそ。

エニグマ暗号が解読できたことを敵にバラしてはいけないとする下りはミクロの正しさに拘る俺としてはまあ納得行かんものがあるが、理性的な反応ではないかもな。

まあ上に挙げたような違いは映画の評価とはなんの関係もない。そこで、次にそういった題材である歴史的事実をどのように娯楽作品に仕上げたかというところで気に入った点を書いておく。

(国家に)大きな貢献をするのはどういう属性があるかとは無関係になしうることがある、というのがこの作品の大きなテーマだろ。べつに「国家に貢献」に限らずとも「一般に社会に貢献する行為」ぐらいの広い意味で捉えておいてもテーマとしては無理がない。「誰もが予想しなかった人物」というチューリング役のセリフ(というか字幕)は、ここで社会的少数者の属性を持つということを含意しているわけやな。もちろんここで映画が伝えるこのセリフのニュアンスは、「彼がすごい同性愛者なので同性愛は一般にすごい」という主張ではなく、また、「彼だけすごいので同性愛者でも特別に許してやれ」という話でもないことはあきらかで、むしろ、「ものすごい業績をなす人物がたまたま少数者ということがありうる」という(たぶん)あたりまえの話だと思うわけです。ゲイだけでなく自閉症スペクトラムとかそういった属性を取りたてて貶すのでも聖化するのでもなく、業績とは(たぶん)無関係に捉えましょう、単に違いとして受け入れよう、そして製作者がこれを見た人に求める態度なんじゃないかと思うわけです。知らんけど。というふうに評価すると、ガーディアン紙が「紋切り型のメッセージだな」という本作に低い評価を与えたのとは同じことを言っていることになるのか。

女性が職場で多くの男性と一緒に仕事するときに演じなければならない(と女性自身が考える)役割、という立場のつらさがあることをまたこの話は伝えている。これはジョーン・クラーク役が表現していることで、当時から(今もある)女性に対する職場での不平等な取り扱いを認識せよと迫られているわけです。まあ俺は男なんでほんますいませんなという感じはある。

というような感想を持ち ました。

2018年7月25日水曜日

ドイツ映画『名もなきアフリカの地で』(2001)

『名もなきアフリカの地で』(German: Nirgendwo in Afrika, English: Nowhere in Africa)を見た。ユダヤ人の一家がナチスドイツの迫害からケニアにのがれてくる話。大変な話やしええ話やけど交尾のシーンがこれでもかと来るのがあれやな。まあ交尾はよいことですが。

2018年6月21日木曜日

イタリア映画『アルジェの戦い』(1966)

武力闘争が唯一の解ではないというところに至るのが中盤だった。

2018年6月9日土曜日

映画『トランボ』(2015)

ハリウッド映画『トランボ』(2015)を見た。すげえよこれほんま。製作国の民主化度というか、その国で獲得された人権概念の健全性の指標となる(ほんまか)という意味で、こないだ見た韓国映画『弁護人』(2013)と似た良さがある。もちろんストーリーは全然違う。早い話、本邦でこれが作れるかという基準で考えてみてください。歴史をそれなりに忠実に描き(不正確な点もあるらしいが)、かつ不当な人権侵害を告発し、またそれにより失われた名誉を回復させ、かつハッピーエンド等のカタルシスを得られる娯楽作品としてのフォーマットを忘れない、という条件のいったいどれが満たせるか、と。常識的に考えて本邦の作品には無理だろ? もちろんまともな製作者は本邦にもいるんだろうけど、(人権侵害の)歴史を描いて商業的に成功しそうなのってあるか?という話。まあこの『トランボ』は予算1500万ドルだったのがボックスオフィスが1100万ドルなので赤字だし、商業的には失敗したようだけど(わはは)。

まあこういう作品が本邦に(おそらく)ない(または少い)ことを銘記して生きて行ってください。本邦はそういう人権後進国だったわけです(知ってた)。

2018年6月4日月曜日

韓国映画『JSA』(2000)

映画『JSA (공동경비구역 JSA)』(2000)を見た[1]。まあなんか大変なんやなという感じ。『弁護人』(2013)でも凄かったがソン・ガンホすげえな[2]。あとイ・ヨンエが大変きれいだった。

 なお、本邦において朝鮮半島が南北で反目してくれてないと困るタイプの人はどこにいるかというと、おわかりでしょうが J-Alert を連発してミサイル避難訓練をさせたがり、すわ戦争だと杞憂したがる人たちです。それは同時に、南北分断の原因が当地を植民地として支配した大日本帝国の存在に由来することを認めない人と重なるでしょうが。もちろん、米朝首脳会談を中止すると聞いてその判断を支持してしまうような狂信的好戦主義者たちとも重なるだろう[3]

これが韓国でヒットした事情はもちろん、本邦でも優れた映画として紹介されたらしいのも無理なことはなくて、そういった狂信的反共主義者や軍国主義者を除けば、兵士どうし仲良くなることも(物理的にはどうか知らんが心理的には)ありうるだろうしだとすれば顛末にも理解はできるという心の理論を持つ定型発達の観客が、兵士達が敵対する国の関係だったことを嫌でも思い出させられるという事情のたまらなさを伝える話として肯定的に評価したってことなんじゃないでしょうか。知らんけど。だからといって(当然ながら)共産主義を唱導する話でも(全然)ありませんので念の為。どう解決すべきかといった現実的なところに進めるのは映画がすべきことではなくて現実に生きる人間の責務ですが、この話の問題意識というか切実さはわかる気がしますね。

References

  1. ^ Shim Jae-myung & Lee Eun (製作). パク, チャヌク(監督). (2000). JSA (공동경비구역 JSA) [DVDの映画]. 日本: 東芝ディジタルフロンティアズ.
  2. ^ ヤン, ウソク. (監督). (2016). 弁護人(변호인/The Attorney) [DVDの映画]. 韓国: Next Entertainment World.
  3. ^ 韓国元統一部長官、米朝首脳会談中止を支持した安倍首相に苦言. 中央日報日本語版. 2018年05月28日.

2018年5月28日月曜日

映画『ベルリン・天使の詩』(1987)

ドイツ・フランス映画『ベルリン・天使の詩』(1987)をみた[1]。俺は芸術を鑑賞する教育を受けてこなかったことに気づいて愕然とした、というぐらいに何がおもしろいのか不明なお話だった。なぜこれが賞をもらうのかよくわからんが、崩壊する2年前のベルリンの壁を写している点は貴重な記録なんだろう。壁の中にうさぎが住んでいたという話[2]も本当のようで、たしかにうさぎが写っていた。そのドキュメンタリーを今確認しようとしたが詳細は不明である。NHKは自社のサーバから放送したものの書誌情報を消すぐらいなら、それを消す前にWikipediaに番組の記事をつくって転載するまでを受信料分の仕事にしろよ。記録することの大切さを一切理解しない忌々しい間抜けどもだな。

ブランコ乗り役のソルヴェーグ・ドマルタンさんが英語ドイツ語フランス語の3つを話していて受けた。すげえな。

References

  1. ヴェンダース, W. (監督). (2012). 『ベルリン・天使の詩』 [Blu-ray の映画]. 日本: NBC ユニバーサル・エンターテイメントジャパン. (原作: Wim Wenders (監督). (1987). Der Himmel über Berlin [映画]. 西ドイツ: Basis-Film-Verleih GmbH.)
  2. 不明 (監督). (放送年不明).『BS世界のドキュメンタリー: ベルリンの野うさぎ』 [テレビドキュメンタリー]. 日本: 日本放送協会. (原作: Deckert, H. & Wydra, A. (製作) & Konopka, B. (監督). (2009). Rabbit à la Berlin. ドイツ,ポーランド: スタジオ不明)