2018年10月31日水曜日

日/仏バイリンガルのカップルを見た

日本語とフランス語をちゃんぽんで話すバイリンガルのカップルがスタバにいる。ほんとうにすごいなと思うのが、日本語とフランス語の切り替えタイミングがまったく予測できない(フランス語のほうはほとんどわからないためだろうけれど)。 フランス語も日本語も母語っぽい発音なのでまあ完全にバイリンガルなのだろう。そんなのが二人でいるというのは確率的には兄弟というか姉妹なのではとも思うのだけどカップル席におすわりだからよくわからん。かれらが遊ぶ遊びとはどんなものか知らんが、さぞかし楽しい遊びなのであろうと思うといやな汗が出た。

司法による救済が不可能であれば私的制裁が横行するだろう

いやしかし本邦の裁判所をみてて思うわけですが、原発再稼働の話に限らず、一定の傾向がありますよね。どうやら、国家は無謬であるという荒唐無稽な仮定を念頭において判決を出す狂信者の巣窟になっているようだ。

司法による救済が不可能なのであれば、最後の合法的な闘争の道が閉ざされてしまうことを意味するので、 そのことを人々が確信した暁にはもはや私的制裁の応酬しか残らないんじゃないでしょうか。 詰まる話が「東電は無罪」とか「再稼働許可」とか「無償化除外は合法」とかやってみろつう話ですわね。 東電が無罪だったらみんなショットガンを持って責任者を吹き飛ばしに行くのではないか。被曝被害者がそれだけ頭が弱いということを言いたいのでも思っているのでもなくて、民族的マイノリティを狙い撃ちにするヘイト政策の場合はその当事者が、ということを言っているわけでも思っているわけでもなくて、被害当事者でなくても正義の名において私的制裁を行う者が現れるだろうということです。まあ予想だけどたぶん本当になる。

2018年10月30日火曜日

「日本は東北アジアの秩序再編という動きをキャッチできていないのではなく『変わって欲しくない』と思っている節がある」


――朝鮮半島の平和プロセスの中で日本に望む点は?

1945年以降、日本の選択がここまで国際的に重要となった時期はないと見ている。ただ、日本がこれまで取ってきた北朝鮮政策の歴史があるため、日本が声を上げても北朝鮮や韓国が真実性をもって受け入れるかは疑問だ。

だが、米国に対し「せっかくの情勢を雑に扱わず、(北朝鮮に対し)もう少し柔軟に対処してはどうか」と伝える場合、トランプ大統領は「どうした!」と驚きつつも、耳を傾けるだろう。

韓国としてもそうした動きを望んでいる。しかし、日本は東北アジアの秩序再編という動きをキャッチできていないのではなく「変わって欲しくない」と思っている節がある。

米朝関係が改善される場合、日本と韓国の保守政権の基盤となってきた北朝鮮に対する敵対心は、存在できなくなる。安倍首相が日朝首脳会談を行う場合、こうした点を踏まえて議題を設定するべきだ。
徐台教(ソ・テギョ). 丁世鉉(チョン・セヒョン)元統一部長官へのインタビュー.

2018年10月29日月曜日

世の勤め人は慢性寝不足だそうです。そして高プロの適用拡大と来ているのでまあみんな死にそうになったりのたうち回りながら死ぬところからやりなおしやな。ざまあ感はないがこちらから手伝いはできないのでせいぜい各自で持ち場を死守してがんばってほしい。

メモ:自己責任論で張り切った者は誰か

以前の人質事件と同様の「自己責任」論ないし「プロ人質」なる中傷等を行った者の発言をいくつか記録しておく。いくらイデオロギーに目が眩んでいるとはいえ、実名で加担するとはいよいよ社会の底が抜けているという印象がある(大きい主語)。大物から小物まで取り揃えております。






「私独自の意見は、特にない」のだそうです。中傷する他人の発言を散々並べておいていやはや何という韜晦ぶりだなとは思うのだが、まあこれがやり口なんですねという気づきを得た(何のやり口かは知らんが)。はやく定年になって黙ってくれることを祈るばかりである。
以下をご覧下さい、「私独自の意見は、特にない」方がとくに(何らかの点で)気になった意見だそうです。 しかしとはいえプロが賛同する意見が匿名の素人ばかりか高卒の吉本芸人だというのはすごいな。国費で養成された法学のプロがこれだけ劣情を迸らせているというのは、(東大)法学部はまさにネトウヨを正しく選抜して来たんだなという感慨がある(主語が大きい)。なりふり構ってないようなんだが、一方でまだ「意見は特にない」という程度にはまだ構っているという奇妙な話ではある。 まあ既に勝ったつもりでいらっしゃるんではないか、何の勝負かは知らんが。しかしまた、ここで挙げられている人たちというのは311後の正常性バイアスで鳴らした人ばかりなので、ネトウヨと正常性バイアスには親和性があったりするんだろうか。

2018年10月28日日曜日

DOSBox-X では EVE: Burst Error ほかシーズウェア作品が動く

DOSBox-X の次回リリース(現時点の最新版はv0.82.9なので次は10)では EVE Burst Error のテキスト部分が2バイト文字含めて出せるようになったとの由である。以前Issueで上げられていた、PC-98のC's Ware 作品のいくつかで2バイト文字が表示されないというエミュレーション状況(v0.82.6時点)が改善されたとのポストを見た。いやはや開発者の人はすげえもんである。

ちなみに、同様の症状を持つゲームは同じ C's Ware 作品において少なくとも5作ある(上のEVEを含む):
  • 禁断の血族 (1993)
  • 悦楽の学園 (1994)
  • DESIRE 背徳の螺旋 (1994)
  • Xenon -夢幻の肢体- (1994)
  • EVE Burst Error (1995)
ここで特筆するべきはおそらく『禁断の血族』である、というのもこれは最新版の Neko Project II では描画が変なのでプレイ可能という点でこちらにアドバンテージがあると思われる。もしかしたらMAMEでもエミュレーションが改善されてるのかもしれんが確かめてはいない。更に、『GLO・RI・A ~禁断の血族~』はv0.82.6時点でプレイ可能であり、とくに改善があるかどうかは知らん。

2018年10月27日土曜日

橋下よ、辛坊治郎の悪口はそこまでだ

橋下徹氏によると、ヨットで遭難して国費で救出された辛坊治郎氏は英雄なわけがないそうです(知ってた)。とはいえ辛坊氏が英雄でないのは国費で救出されたからというよりは元からダブスタのクズ野郎だからですね。 しかしまあなんというか絵に描いたようなクズ野郎というか。なぜ「感謝すべきだ」ではなくて「謝れ」なのか、というのは他の人も言うてはるが、彼のこの理屈を支えるイデオロギーが「最小政府の思想と人種主義の結託」であるという解説をしてほしいです。

2018年10月24日水曜日

メモ:危険な地域に行くジャーナリストの意義(の4コマ漫画)

これはいつの新聞なんだろうな、日付どおり今年の8月15日か?
カタールに働いて返せとか言っている奴もいらっしゃってまあ狂信者はどこにでもいるなという感じですね。 「人に迷惑をかけないで生きろ」とかいう道徳を実践する人は、このように他人に牙を向くので結局こんな道徳なんぞあってもなんにもならんのだろう。

身代金はカタールが支払った?

人質解放に直接関与もしておらず身代金を払ったのは日本政府ではないということであれば、安田氏は日本政府に借りは一切ないということで結果としてはよかったのかもな。したがって彼がパスポートを取り上げられる理由もなさそうである。

しかし交渉してはいけないという話は本人の意向だったかもしれないわけだ。まあ代弁した友人が多数いたこともあり彼が実際その意向だったとしても驚く必要はないだろうが、非当事者である私としてはそれを真に受ける必要がないしそれよりは救出する原則を打ち立てた上でそれを落ち度として旅券を没収したりすることのないように運用させる方が大事というのはこれまでの通りであるし、なぜか自分をジャーナリスト関係者に内面化してしまう間抜けが多数いたこともこれまで示した通りである。まあ非当事者のこういった意見を「妨害」と位置づける敏感な間抜けもいるのでなかなかようわからんもんやな。カタール政府が交渉したとして、そういった外野の声が救出にどれだけ響いたのか?または響かなかったのか?ということを総括したほうがええんちゃいますかね。ちなみに俺は、外野の声なんぞ良くも悪くも一切影響してないと思います。なので街頭に出て政府は安田氏を救出せよと叫んだ人間も、俺と同様に全くの無力でした。ということでええのではないですかね。

しかしまあ日本政府は関与どころかおそらく一切把握していなかったようです。「内閣官房国際テロ情報集約室が統括する国際テロ情報収集ユニット中東班」なるものがあるらしいのですが、これが菅が会見で言うてたところのユニット("a special anti-terrorism intelligence unit Tokyo established in December 2015")なんだろう。しかし夜11時におおいそぎでやる必要はなかったというのが普通の見方のようだし、おそらく日本政府も予期していなかったのでおおいそぎで会見したというところなんではないのか。これでインテリジェンスだーとか言うてたら臍で茶が湧くというものだ。結局首相にできたことと言えば、内閣調査室の私物化と秘密警察化ぐらいのものだということだろう。まあ『善き人のためのソナタ』見てシュタージはあかんなと思う人が中にいることを期待しますが、公文書をいとも簡単に廃棄するお前らはシュタージのレベルにも到達できんだろうて。知らんけど。
うまい瞬間で御用をつかまるものだ。えらい監督さんだなあ、いやほんとに。この漫画家は御用だけど学者じゃないから御用学者とは呼べんわな。 なお、放射線防護のための「線形閾値なし」というところを自然言語にてもっとも正確に表現するための手段は「$y=ax$ のかたむき $a$ と変数 $x$ をそのまま残して自然言語文に埋めこむ」なんだろうな、解決になってるのか知らんが。「なし」だと $y=0$ を意味するので明確に誤りですわね。

終 #政府は安田純平さんの救出に全力を尽くせ

安田純平氏が解放されたとの知らせを聞いたのでよかったよかった。日本国が一切の動きを見せず3年が経ち、配偶者の方が会見をしてから2ヶ月で解放された。というのが事実である。したがって、解放との因果関係上の原因が、配偶者の方の会見だったということはあるんだろうか。

NHKニュースチェック11が常岡浩介氏に問い合わせたところ、彼は「突然解放の知らせを頂いた」と答えた。これを真に受けると、彼は安田氏解放までの経緯を現時点まで一切把握していないと推定できる。人質解放の経緯を知らない人間がなぜ事情通の顔をしていられたのか?とは思う。まあ不思議なことがあるもんだ。「俺を政治活動に使うな」との言い分もえらくナイーブな話なので、ほんとうにジャーナリストがこれを言っているのかという戸惑いはある(し、確認してみないとわからないがたぶん言ってないのではと思う)。

今後は、以下のような「政治課題化すると救出できない」教がどのようにしてそういう信仰を持つに至ったのかを説明すべきなんじゃないですかね。もちろんこんなお互いに匿名の素人がすべき話ではないのでプロがやるのを待つべきでしょうが、結局Newsweek日本版に書かれてた話がいちばんまともだったっぽいわな。
まあ今後は以下のツイートの通りである、といってもクソ自己責任論から安田氏を守るというのは若干おこがましいので、クソ自己責任論からこの世論を守るというぐらいでいいのではないか。要は自己責任ではないという主張で公共空間を埋め立てればいいわけです。そう思ってるなら今から実行しろよ、俺は既にしている。まあでもこのアカウントも救出されるまでずっと黙ってた口なので、どこからそういう「政治課題化すると救出できない」教の信仰を仕入れてきたのかについては興味がある。

2018年10月23日火曜日

『SUITS/スーツ』を名乗る糞がリーガルドラマを名乗る罪深さについて

フジサンケイグループに出せるクオリティとしては上限目一杯まで絞って制作された作品であろうことは認めますが、まあこれが失われた20年の集積点であることを思わせるに十分な出来であった。早い話がゴミということです。俺の青島俊作を返せ(?)。

フジサンケイグループにとって弁護士ドラマ(またはリーガルドラマ)と言えば、彼らはこういう会社の取り合いみたいな私人間の争い(第三話)しか思いつかないわけです。社会正義を実現するとかいう類いの話でさえない。てめえのオキニのブランドが海外移転すると困る、約束もあったしという程度の「俺の美学が許さねえ」みたいな私小説級に世界の狭い話を流されても困るんです。

そして出てくる弁護士は意味もなく優雅ですし、織田裕二は部下にも常に優雅であれと迫る勢いです。彼は威張るときも優雅に威張り自慢するときも優雅に自慢し、同僚に出し抜かれて意気消沈するときも優雅です。おまえはあほかという話でしかない。織田裕二弁護士がメインなのか鈴木ダイスケが経歴詐称しながら非弁行為 やるという話がメインなのかはわからんが、いずれにせよ痛すぎるし、後者だと特にプロの仕事をなめているという点で非常に問題がある。

さらなる問題はフジサンケイグループの抱く弁護士像というのがこんな感じの優雅な奴らでしかないということを意味し、ひいては世間一般も同様なんだろうということです(主語がやや大きくなりました)。もちろん大企業ばっかクライアントに持つパートナー弁護士とかだと実際こんなもんだろうとは思う(俺のパートナー弁護士についての基本的イメージはジョン・グリシャム作品に依っている)し、これでは優雅さを描写しきれてない恐れさえある。けれども現実の弁護士は、自らを「弁護士」と名乗る野村修也先生ばかりではないし、俺を含めて皆もそう解すべきでない理由がある。

弁護士は国民に存する主権の実質部分を担ううちの主要な職業なので、その質と量が権力の腐敗を阻止する上で決定的に重要なわけです。弁護士がせいぜい私人間の諍いで儲ける商売でしかないというイメージが定着していることは、私人間ではない戦いを担うなんてイメージはほぼないかまたは全くないってことなわけです。おとなりの韓国だと映画『弁護人』では国家権力とギリギリと渡りあう弁護士が描かれているし大統領も弁護士かつ民主化運動出身だったりする。本邦でもいないわけではない、古くは正木ひろしとか、最近だと官邸前抗議行動に出前して見守るとか関西だと民族的マイノリティとかの弁護をされる方とか無令状GPS捜査の違法性を勝ち取る人がいるが、しかし全体としてそうはなってないし、その結果がこのドラマの提示するイメージです(実際そうなってほしいという制作側の意図が込められていることは割り引いた上で)。本邦に存在する弁護士は、憲法制定までは国民議会を解散しないとテニスコートで誓うタイプの人々ではなく、企業の役員とワインを開ける社会のフリーライダーであるわけです。インハウスについては知らんが量としては無視していいんじゃなかろうか。

したがって本邦の現状がこの有様なのは当然の帰結だと思うわけですが、フジサンケイに作れるリーガルドラマの敵役に国家権力が存在しなかったり争いが社会正義を実現する類いのものではないという事実が本邦のみなさんのリーガルまたは主権リテラシーを測る上で重要な指標になっているんじゃないでしょうか。そこへ行くと『オクニョ』なんかはすごいぞ、あれは中世か近世の話だが、国家権力と戦うにはどうしたらいいかと日夜考えているし、もっと地に足つけて勝負している。さっき引いたジョン・グリシャムだって、例えばパートナーに昇格間近の弁護士がすげえファームを辞めてホームレス専門になる『路上の弁護士』という話だってある。話の種類が違いすぎるので単純に比較はできんかもしれんが、意味のない優雅さにあこがれるのは20年前に卒業すべきだったの(もちろんそれができたらこの現状はなかっただろう)であって、もっと地に足つけて話作れってこった。

調べてみると原作はアメリカの人気シリーズらしいので俺が偏見を持って見ていただけなのかとも思ったが、話がおそろしくつまらないのは事実なので翻案する際に本邦側の脚本家が意図的につまらなく改変しているのではと思うに至った。というわけで原作のファーストシーズンだけでも見てみる必要がありそうだ。

2018年10月20日土曜日

『フェイクニュース』を名乗るTVドラマのフェイクニュース性について

NHKでドラマ『フェイクニュース』なるものをやっているようだが、まあ定見のない脚本家に書かせるとこうなるという見本のような出来である。もともとフェイクニュースは人種的偏見や左翼(またはアメリカふう「リベラル」)への敵意を扇動するプロパガンダのうち事実に基づかないものを指していたところ、そこを思いきり意味を変えてきたように見える。まあリベラルへの敵意扇動はべつにどうでもいい(ヘイトスピーチじゃないので)が、そこらへんの理解がぐちゃぐちゃになっているとこういう統合失調症の患者みたいなものをフェイクニュースの送り手として描くようになってしまうわけである。現実に存在するフェイクニュースの送り手は「弱きを助け強きをくじく」ためにやっているのではなく、もちろん精神疾患なのでもなくて単純に悪意でやっているのである。もちろんその悪意が、精神疾患に由来する妄想に駆動されている場合はあるだろうけども。

そもそも現実にはきわめてありえない対立構図に受ける。「企業が一方的な被害者」といった設定がまず公害の歴史からみちびかれる経験則に反している。水俣病におけるチッソの役割って被害者だったか?「技能実習生とよい関係を結んでいる企業」という設定に関しても受けた。 もちろん企業が被害を受ける例も現実にはある、たとえばフジテレビへの抗議デモ(爲手はネトウヨ)とかロート製薬への抗議デモ(爲手は人種差別団体の在特会)とか。 しかしその場合爲手を見ればわかる通り、彼らは金も頭もない冷遇された中高年で社会正義の実現を目指しているなどということはない。彼らが目指すのは差別主義者にとっての千年王国である。

だいたい「金も頭もない冷遇された中高年」を加害者像にして彼らを治安に対する脅威だと見なすのは、『ネット炎上の研究』に対する理解がなさすぎるのでは(俺は読んだことないが)。たとえば「若い人ほど炎上に参加している」とか「裕福な人ほど炎上に参加する」現象とは明らかに乖離があり、その点でドラマのサルスベリは現実を反映していない、というか少くとも典型例ではない。というかよく本邦ネトウヨ界隈にあるフェミニズムへのカウンター運動としての「弱者(中年)男性」「キモくてカネのないおっさん」論に対するエサやりにしかなってなくないですか?

下の記事の大阪市長とかを見てみろよ、「慰安婦はなかった」とか言うのもフェイクニュースの例であるが、このとおり送り手(または真に受け手)である吉村氏は悪意に基いて行っているし、その悪意は人種的または性的な差別意識に基くものである。差別は意図ではなくて効果の有無で測れとか言う基準があるらしいが、この歴史修正主義に関しては悪意を推定して問題ないのでは。すくなくともこの吉村氏は、精神疾患に由来する被害妄想に侵されているわけではない。

脚本家は野木亜紀子氏という方らしい。この方は現実に起きた事象の単純な順列組み合わせでシナリオをでっち上げられると考えているんだろう。基本的人権に理解のないドラマの書き手なんてプロパガンディストの類いでしかない。渡りに船と利用されてしまったのか、奇貨として自ら名乗りを上げたのか知らんが無様なものだな。ハフポストの宣伝記事を見たが「ちょっと間違えた人を徹底的に叩いていたら、誰も生き残らない」とか「正義の棍棒」などと手垢のついたクリシェを振り回されていたので色々とお察しである。「権力」とか「権威」といった要素を捨象して総ての人をフラットに扱えばまあそう見えるかもしれんが、まあ色々と残念な御様子であった。

大阪府は歴史修正主義陣営の牙城

大阪府は大変なことになっておるな。しかしこれが90年代からの(トピックを慰安婦制度に限らなければそれこそ東京裁判からの)歴史修正主義者による運動の成果だったということです。もはやこれを狂信者または狂人と呼ばずしてなんと呼べば正確なのか、まあ皆さんで考えてみてください。

2018年10月19日金曜日

メモ:いつかよむ

旧帝大の大学院を金満家の子弟のみが行けるようにすることによって実現できたのがこの「そういうやつのいい論文はみんな英語」という状況なんでは。知らんけど。

2018年10月18日木曜日

バケペンを振り回す白人カップルを見た

バケペン(ペンタックス6x7)を振り回す白人のカップルをスタバで見た。まあお前ら日本人ときたら、カメラは手に入れても女子を手に入れることなんか到底叶わない人間ばっかりだもんな(主語が大きい)。まあ知らんけど、少くとも俺はそうです。バケペンを振り回していた彼はしかし、どうやってバケペンで彼女と遊ぶんだろうな?それはもうさぞかし楽しい遊びであろうな、と考えるだけでいやらしい汁が出る向きもあろう。

メモ:「おしどりマコ立候補」の件につきハッスルしていたのは誰か

上の記事にもとづき、2015年の左巻氏の件以降にハッスルしていた人間を記録しておく。なお左巻氏自身も最近蒸し返す記事を投稿している(記事参照のこと)ため、ここに含まれることになる。 今になってみなくても、当時から東京はやばいという話や予想はあった(牧野氏もそう予測していたというのは『原発事故と科学的方法』で)わけだし、SPEEDIがその拡散予測を見せていれば済んだ話だったんじゃないのか。 上の記事は事実として東京の線量が震災直後高かったという最近のものである。であれば、AERAの『放射能が来る』煽りにしたって(なぜ東京の人間が被害者ポジションを取るのかに問題はあるとしても)事実問題で言えば間違いではなかったわけだ。 そして甲状腺癌が1年目から増えたというチェルノブイリの話もあり不誠実なUNSCEARレポートの問題もあるわけなので、これらを踏まえた上で「デマ」というのはだれを敵として見ているかという立場を明かにしているわけだ。理学博士は怖くて叩けないがおしどりなら叩けるというハッスルぶりについても、これはおそらく性差別を内面化した話し手によるものなんだろう。それとは別に、「認知に歪みのある理学博士」という問題もある。彼はここに挙げた通り、震災直後の「メルトダウンじゃないだす」から一貫してハッスルし続けている。

2018年10月17日水曜日

これとは違うのかも知れんしようわからんが、KYBの改竄の話にしたって国交省が「改竄されてても性能に問題はない」とか言いだすので、企業と国交省は完全にグルじゃないですかと思ったのが今夜です。地方自治体の建物に使用されてる免震機能を改竄されてたのなら国交省は被害者の立場を取ってもいいのではと思うのですけど、なんで国交省がKYBの免震製品の性能に関する知識を持っているのか(持ってるわけがない、改竄されているんだから)。こういう話が多すぎるので「技術立国」日本というのは完全に砂上の楼閣だったんだというのは今更すぎる感想だな。

メモ:戒告だそうです

SNSはやめなくていいんですが、俺はそれよりこういう専門家に議員になって勢力増やしてほしいと思っています。こないだからの亀石氏とかも含めて、まあプロであることの重みというのを知らしめてほしいですな。まあこの岡口氏がどんな仕事してきたのかは知らんが、どこぞの小坪慎也とか松井一郎のような学もなく見識もないただのチンピラに政治家をやらせないためには、まあ手続きだけでもマトモな人が必要なんとちゃいますか。法律家から議員になる人が少ない(かどうか知らんが)の、民主主義のコストとして自分が引き受けないといけない部分だと弁護士とか法律家自身が認識してなかったんちゃいますかね、知らんけど。与党の弁護士出身で閣僚といったらそりゃ柴山昌彦といった超絶邪悪なのがいるわけじゃないですか、あれに対峙しようと思ったら野党だって法律家ばりに議論できる戦力が山ほど必要なわけですよ。まあしかし我ながら主語が大きくて恥ずかしいです。
東邦大学学術レポジトリを見ているが、『東邦医学会雑誌』は最近のものしか見れないようである。お前のところ以外に責任もってPDFを上げる奴はいねえんだからさっさとアップロードしろよと思うんだけどね。過去には戸木田菊次みたいな御用学者がいたから、恥ずかしすぎてアップロードできないのかもしれん。

2018年10月16日火曜日

2018年10月14日日曜日

ワンダと巨乳

Journal of the African Literature Association

Journal of the African Literature Association

は本邦ではどの機関でも購読されていない模様である。買うわけにもいかんのでわりとあれやな。チエルノ・モネネムボの著作についての分析とか本人のインタビューがあったりするので見てみたいのですが。おいこらこの貧乏機関どもめ。
しかしまあ既に転んだ政治学者と言えば村田晃嗣とかがいますね、うろ覚えですが安保法制(2015年)のときに中央公聴会で「学者は憲法学者だけではない」「学者には御用学者もいるんです(これは俺の幻聴です)」と発言した彼のことです。たった一つ村田晃嗣という反例があるだけで同志社の言う「良心教育」と名乗るものの底が知れてしまいそうです。彼の主張は「立法事実があれば違憲立法すべし」という話でしかないので、まともな頭があれば「狂信者は黙れ」で済んだ話だと思うのですけどね。とはいえ今更何を言っても現実は変わらんな。
荻上チキ氏には期待しているので今後とも生き長らえながら頑張ってほしいと思っている。素人の俺から見ても若手で近年稀にみるまっとうさ(と学識)を備えた方だとかってに思っている。学識があっても転んでしまってまっとうではなかったり、まっとうでもないし学識もないという例はわりとありそうだが、ここで他をくさすために木村草太とか三浦瑠麗やらを引き合いに出したりはしない。荻上氏が転向したり行方不明になる時がこの国の終わりです、知らんけど。物理的に著作を買って支援はあまりしない(できない)と思いますが、彼にはなんとか生き残って欲しいと思う。しかしこれ外形的には修士修了と法学博士のどちらがまともかという、学位が機能していればおよそありえない話でしかないので、俺はそれ以外の指標を見て言っていることになる。匿名の卑怯者がいかにも言いそうな話であることは間違いない。

2018年10月13日土曜日

現職大阪府知事は辞めた後にショットガン等で吹き飛ばされる位の返り討ちに逢うのではないか。彼はどうしようもなくただのちんぴらだし、(合)法的な闘争が今後大阪で展開可能とも思えない。というのも裁判所は既に掌握されている感ある。まあショットガンに手を出したら終わりなのでこらえて頑張ってください。

2018年10月12日金曜日

メモ:業務停止を開けたばかりでコメンテーター就任

「開けたばかり」、という点に文句があるのではないのです。もちろん業務停止になっちゃうような筋の悪さ、または邪悪さを問題にしています。以前にこの悪徳弁護士が業務停止になってざまあ(大意)という記事を書いたのですが、このように何事もなかったかのように(よりによって報道ステーションに)復帰するとは予想していなかった。しかし報道ステーションが始まっていたというリテラ記事の信憑性たるや相当なものがあるな。

2018年10月11日木曜日

メモ:ロバート・マイルズとマルコム・ブラウン『Racism』

https://www.routledge.com/Racism-2nd-Edition/Miles/p/book/9780415296779

2018年10月10日水曜日

韓国映画『暗殺』(2015年)

ほぼ最高だな、おそらく日本語母語話者以外が見ると満点だと思う。日本語母語話者にとってのアラがどうしても一点だけあって、川口守の息子(満子と結婚する相手)だけは日本語がマズすぎて日本語を母語とする俳優に代えるなどの対策を取るべきだったと思う。主人公の男の方の暗殺者(ハ・ジョンウ、「田中少尉」と名乗る日本海軍の朝鮮人、他のブログを見ると「ハワイ・ピストル」と名乗るのはオ・ダルスではなくこっちらしい)の人は日本語がめちゃめちゃ上手(おそらく相当訓練されたんだろう)なのでこれには違和感なかった。申し訳ないが川口の息子役の人は日本語の発音がうまくない(だけではなさそうだが)ため、演技に説得力がなく日本人役であるという設定から浮いてしまっている。なお、俺はシナリオに関して文句があるからこうやって腐しているのではないことを強調しておく。この理由は次段で述べる。

この映画のストーリーは植民地統治下の朝鮮で韓国独立を目指す軍人による親日派朝鮮人(とついでに日本人)の暗殺を基本軸としている。日本(大日本帝国)が朝鮮半島を植民地統治したのは事実であり、かつ舞台となる1910年代は武断統治の時代でもあった上民間人の虐殺は史実通りであり、この映画における日本軍の残虐表現において一切の誇張はない。劇中で登場する第19師団の川口守による4000人弱の虐殺の件は知らなかったがおそらく史実だろう(すみません本当に知らなかった)。日本軍その他日本人は当時、朝鮮人を虐殺なり虐待する大小無数にあった事件化されない事件を犯したという史実がこのストーリーの背景にあることを念頭に置いた上でこのストーリーを評価すべきである。ましてや、「内容のツッコミどころは多く、とくに日本人将校の冗談みたいな残酷さとか」とか「歴史上国際的な大戦争において韓国人が一度も戦わなかった、戦えなかった事実を」などと言った歴史修正主義やそれに基づく人種的蔑視(または人種的蔑視に基づく歴史修正主義)を動員する批評[1]はおよそヘイトスピーチでしかなく、こういうゴミを映画評論と名乗らせるのは小川榮太郎の『新潮45』でのゴミを評論と名乗らせる行為とまったく同類の行為である。そもそも日本軍が組織として残酷であったことは史実なので、その例外があったとか、ましてや残酷などではなかったというようなデタラメの抗弁はやめるべきですが、もちろんこれが通じる話であればこの現状にはなっていないだろう。なお、ストーリーそれ自体は歴史劇ではなくてほぼフィクションなんだろうと思っている、たとえばアン・オギュン(チョン・ジヒョン)なる女性狙撃手に関しては。でもソ連とかではそういう第2次大戦の英雄とかいたんだよね、確か。忘れたけど。

さらに、上海政府が主眼とする暗殺対象はこのストーリーにおいて日本人よりは同胞の裏切り者のようである。ゆえにこれが反日だという評価はたぶんあまりないだろうけど、あったとしても的外れだということをいま上で説明したわけだ。

その上で俺が言いたいのは、川口の息子はせっかくスネオ級にいやらしい人物造形なのだから日本語母語話者のうまい俳優を当てていやらしさを存分に発揮してほしかった。中国への侵略を扱う映画だと『鬼が来た!』(2000)、『ジョン・ラーベ: 南京のシンドラー』(2009)で香川照之が日本軍将校役を演じたが、こういう感じで誰かいい人おりませんでしたろうか。

アン・オギュンが「二人を殺したら独立できるのか?」とハワイピストルに問われるシーンで「独立できなくても、闘う姿を示すことが重要」と返すところ、ここは本邦の現状に照らしてもめちゃめちゃ重要なんだろうと思っている。まあ俺は戦えない類いの人間なのでここはみんなにがんばってほしいですが。このセリフ一見しただけでは、ただの精神主義なのかなと思うけども、まあでも結局戦う姿しか「戦え」というメッセージを発することができないのだろうというのはわかりますね。本邦での民主化の戦いというのはどうやって広がりうるんだろうか、それをずっと考えてますね。まあみんながんばれよ。

シナリオに関してはダルタニアン物語の『鉄仮面』と似たところがありそうだ、というか俺が見たのはアメリカ映画『仮面の男』(1998)であったが。ならべて見ると、一人二役で双子を演じるという共通点がある。ディカプリオはルイ14世/フィリップだったのと同様に、チョン・ジヒョンはアン・オギュン/満子の一人二役だった。同一のフレーム内に二人を同時に入れるという映像技術はそりゃ20年前からあるものなんだろうがいずれにせよ凄い。あとハ・ジョンウはめちゃめちゃかっこよかった。

参照文献

  1. ^ 前田有一 (2003). 「『暗殺』70点(100点満点中)」. 超映画批評. 2018年10月10日閲覧; しかし、批評ページにある著作権情報から判断するに、このレビューは2003年に書かれた様子である。2015年の映画をどうやって2003年に見ることができたのか不思議でならない。

2018年10月9日火曜日

メモ:「文系」とは人種概念である

2018年10月8日月曜日

昨今、極右が知的出自をロンダリングする件


木村草太と橋下徹氏が共著というのはこれはすごいな。以前與那覇潤氏と池田信夫氏というのがありましたが、後者はどこまで言っても似たもの同志でしかなかったのが、木村氏は橋下と同類という認識はなかったものでな。もしかすると「ヘイト規制は表現の自由の侵害」(出典は失念だし文言も不正確)とか「やまゆり園での相模原事件はヘイトクライムではない」などと世迷い言を言っていたあたりで疑っておくべきだったんでしょうか。

極右の知的出自に関するロンダリングの新しい例が次々と増えていくようだ。まあしかし極右に手を貸す人は恥を知れよという感じがするわね。與那覇氏にその力があるのか知らんが。

Wikipedia日本版の記事が悉く糞な件

Wikipedia日本版の記事『家永教科書裁判』や『水俣病』の未整備ぶりを見ればわかるように、本邦には公刊された信頼できる情報源を用いて的確に要約できる人材がまともに存在しない様である。武蔵大学の先生とかが講義だか演習だかでやってはるらしい英語から翻訳して記事を拡充するとかというのもやったらいいことですが、母語で書かれた資料を満足に扱うことができないウィキペディアンしか日本語圏に存在しないというこの現状には暗澹とするよね。まずアカウント持ちのみがノートの議論に参加できるよう合意を取るとか(できるのか知らんが)、いろいろ抵抗すればいいのにね。あほだな。

2018年10月7日日曜日

Nスペに登場するリーディングスキルテストの論理学者はベーシックインカムの夢を見るか?

「マネー・ワールドIII~資本主義の未来~第2集 仕事がなくなる!?」を少しだけ見たのだが新井紀子氏はやはり偉かった。研究者も大切な仕事なんやけど、新井先生には国会議員になってもらえんやろか。亀石弁護士とかと一緒に打線つうかシャドウキャビネットを組んでくれへんかしら。

2018年10月6日土曜日

Nスペに登場する邪悪な経済学者は現金レス社会の夢を見るか?

今日は『NHKスペシャル マネー・ワールド~資本主義の未来~第1集「お金が消える!?」』という番組だったのだそうだ。 大阪都構想に賛成した邪悪な経済学者ともう一人はどこぞの会社社長だったようである。北海道胆振東部地震によって停電だと電子マネー決済がまるでできないという欠点が明らかになりましたが、にもかかわらず「現金はアンダーグラウンド化します」とか寝言にしては邪悪すぎるのでまあ御自身の商売を見越した発言なんだろうと理解している。この発言はその、佐藤とかいう社長によるものであった。次回は新井紀子氏が登場されるようで、プロらしく守備範囲内のコメントをなさるんだろうし期待している。

『LAコンフィデンシャル』(1997)

よい。

2018年10月4日木曜日

メモ:同志社香里は狂信的歴史教育へと驀進した

これは知らなんだ。道理で「同志社教育」とか「新島精神」とか連呼しているはずである。まあ俺がそれを聞いたのは大学のほうですが。

狂信者が多すぎる

しかし本邦の閣僚に狂信者の多さたるや。これはしかししっかりリストアップしていかなあかんとともに、狂信者のレッテルが多すぎるとインフレーションで価値が低下してしまうわね。まあそれは俺が悪いのではなくて現実が悪いのだということにしておこう。

原田義昭はこういう狂信者でした

2018年10月3日水曜日

大阪市がサンフランシスコ市と姉妹都市を解消

まことにもってこれが狂信者の振る舞いです。大阪市の人はよくこんなのを選べたよな、この落とし前は高くつくだろう。
パンチ(ャシ)ラ道徳教育

教育勅語は(いかなる意味でも)無効というあたりまえが通らない世界にようこそ

こういうのを狂信者とか反動だと言っていいのだと思います。まあ抑制的に悪い名前で呼ばないようにして問題が解決するのでしたらそうしますが、それはお前らの仕事だよ。お前らなに放置してんの?こいつらは命取りにきてんだぜ、必死で抗えよ。安保法制どころの話でもなくてこれは本丸の「戦前回帰」ですよ。 おまけ:

2018年10月2日火曜日

社会に迷惑をかける狂信者としての長島昭久

長島昭久のような歴史修正主義者または狂信的ウソつきに『スミス都へ行く』が好きだと言われてもな。まあ作品は長島に「お前は俺を好きと言うな」なんて言わんのでな。

ちなみに彼が狂信的なウソつきであるという証拠は以下のまとめられたツイートからどうぞ:
当時の南京市人口が20万ということはなく当時行政区としての南京特別市は100万都市であったこと、日本軍進行直前の1937年12月初頭でさえおよそ50万ほどであったこと、さらに便衣兵は南京攻略戦には存在しなかったこと、中志那方面軍は軍記の乱れを矯正するために必要十分な憲兵を持っていなかったこと(松井石根が悔悟してようが彼がこの方面軍に十分な憲兵を持たせていたなら彼自身は人道に対する罪から一歩遠かった筈である)、は笠原十九司『南京事件』(岩波新書、1997年)にも書いてある話で、これが初出の二次資料ではなかったとしても、偕行社の話は1980年代の話で笠原の話の方がもっと新しいわけである。

要するに、 さすがは(元)日本会議らしい狂信者ぶりである。嘘を言っているうちに自分自身がその嘘にだまされていっているのかもしれん。どこぞの大層な修士号を得て結局はただの嘘つき商売しかできないの、彼に対する教育の投資は完全にマイナスになって返ってきている感じある。皆さんならこういう狂信者をどうします?そのまま野放しにしておいてもいいと思います?

2018年10月1日月曜日

メモ:天皇の政治的利用派と「天皇よりは安倍が君主」派の殴り合いは結局君主制から一歩も出ない

別にひどくもなんともないという話。今上が靖国に来ないのはけしからん!というネトウヨだと安倍が君主の君主制になるし、天皇のほうが靖国より偉いんだ!みたいな話だと結局天皇の威光が気になる天皇制支持者だというだけだな、という話をしてはるわけでしょう。そもそも統治する君主は要らんという日本国憲法からすればどっちでも君主制にしかならんので好きに殴り合えという話でしょうか。