NHKでドラマ『フェイクニュース』なるものをやっているようだが、まあ定見のない脚本家に書かせるとこうなるという見本のような出来である。もともとフェイクニュースは人種的偏見や左翼(またはアメリカふう「リベラル」)への敵意を扇動するプロパガンダのうち事実に基づかないものを指していたところ、そこを思いきり意味を変えてきたように見える。まあリベラルへの敵意扇動はべつにどうでもいい(ヘイトスピーチじゃないので)が、そこらへんの理解がぐちゃぐちゃになっているとこういう統合失調症の患者みたいなものをフェイクニュースの送り手として描くようになってしまうわけである。現実に存在するフェイクニュースの送り手は「弱きを助け強きをくじく」ためにやっているのではなく、もちろん精神疾患なのでもなくて単純に悪意でやっているのである。もちろんその悪意が、精神疾患に由来する妄想に駆動されている場合はあるだろうけども。
そもそも現実にはきわめてありえない対立構図に受ける。「企業が一方的な被害者」といった設定がまず公害の歴史からみちびかれる経験則に反している。水俣病におけるチッソの役割って被害者だったか?「技能実習生とよい関係を結んでいる企業」という設定に関しても受けた。
もちろん企業が被害を受ける例も現実にはある、たとえばフジテレビへの抗議デモ(爲手はネトウヨ)とかロート製薬への抗議デモ(爲手は人種差別団体の在特会)とか。
しかしその場合爲手を見ればわかる通り、彼らは金も頭もない冷遇された中高年で社会正義の実現を目指しているなどということはない。彼らが目指すのは差別主義者にとっての千年王国である。
だいたい「金も頭もない冷遇された中高年」を加害者像にして彼らを治安に対する脅威だと見なすのは、『ネット炎上の研究』に対する理解がなさすぎるのでは(俺は読んだことないが)。たとえば「若い人ほど炎上に参加している」とか「裕福な人ほど炎上に参加する」現象とは明らかに乖離があり、その点でドラマのサルスベリは現実を反映していない、というか少くとも典型例ではない。というかよく本邦ネトウヨ界隈にあるフェミニズムへのカウンター運動としての「弱者(中年)男性」「キモくてカネのないおっさん」論に対するエサやりにしかなってなくないですか?
下の記事の大阪市長とかを見てみろよ、「慰安婦はなかった」とか言うのもフェイクニュースの例であるが、このとおり送り手(または真に受け手)である吉村氏は悪意に基いて行っているし、その悪意は人種的または性的な差別意識に基くものである。差別は意図ではなくて効果の有無で測れとか言う基準があるらしいが、この歴史修正主義に関しては悪意を推定して問題ないのでは。すくなくともこの吉村氏は、精神疾患に由来する被害妄想に侵されているわけではない。
脚本家は野木亜紀子氏という方らしい。この方は現実に起きた事象の単純な順列組み合わせでシナリオをでっち上げられると考えているんだろう。基本的人権に理解のないドラマの書き手なんてプロパガンディストの類いでしかない。渡りに船と利用されてしまったのか、奇貨として自ら名乗りを上げたのか知らんが無様なものだな。ハフポストの宣伝記事を見たが「ちょっと間違えた人を徹底的に叩いていたら、誰も生き残らない」とか「正義の棍棒」などと手垢のついたクリシェを振り回されていたので色々とお察しである。「権力」とか「権威」といった要素を捨象して総ての人をフラットに扱えばまあそう見えるかもしれんが、まあ色々と残念な御様子であった。
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