2018年8月31日金曜日

TVドキュメンタリー『NHKスペシャル: 祖父が見た戦場~ルソン島の戦い 20万人の最期~』(2018)

『NHKスペシャル: 祖父が見た戦場~ルソン島の戦い 20万人の最期~』(2018)を見た。おおすげえなこれ。 しかし日本軍の損害を数えるだけで米兵やら現地住民の数を数えるわけでもないあたりはちょっとどうなのか。 日本軍の市民への加害についてはゲリラ兵容疑の市民を裁判なしでDungeonに持ってきて殺害したというのと、市民に性暴力をおこなったという話があったけれども、被害規模を示さないというのは詰めが甘い感ある。あと小野アナウンサーを前景に持ってきすぎである。

昔、一人称視点RPGをやりたかったという話

プレイしたかったにもかかわらず、これまでプレイできなかったゲームがいくつかある。そのいくつかは現物のROMも所有しているにもかかわらずだ。
  • Wizardry 外伝 (I–IV, DIMGUIL) 
  • Wizardry (1–8)
  • Might & Magic (1–?)
  • 真・女神転生 (1, 2, if..)
  • King's Field (I–IV), Shadow Tower
  • etc.,
というわけでこれらを結局プレイせずに人生を終えてしまうのかもしれん。ほぼどれも80–90年代に発表された一人称視点のRPGだ。一方、自力で解くのではなく攻略本ありでと条件を緩めてもコンプリートしたことのある一人称視点のRPGは
  • Wizardry 外伝II
  • Dungeon Master II: The Legend of Skullkeep
  • King's Field (I–III)
だけなんじゃないだろうか(いずれも攻略本あり)。好きな割には最後までやりとげたことが殆どないのが特徴だな。これでは人に言えるほどのオタクではありえなかった(言うつもりもない)。今後、ゲームをやることはますますなくなるだろうし、これらをコンプリートすることもないのかもしれん。したがって自力で Walkthrough を書いて GameFaq に投稿することもない。まあ寂しくはある。

2018年8月30日木曜日

テレビ朝日スポーツコメンテーター宮嶋泰子のコメント精度が酷い件

今でてるテレビ朝日の報道ステーションの宮嶋泰子とかいうコメントしてる人間、パワハラかどうか云々の判断のなかで「長崎訛りだからぶっきらぼうに聞こえる」というのはこれはヘイトスピーチだろ。地方出身者なめてんのか?

宮川氏の言い分の通りだとするとパワハラでもあるが、宮川氏の言い分とは関係なく暴力事件でもある(可能性があるだけなんだっけ?)というだけの判断ができないと危うすぎて見てられんだろう。 彼女はテレビ朝日のスポーツコメンテーターだと知ったのですが、これはいったいどういう話なんでしょうか。

アニメ映画『聲の形』(2016)

アニメ映画『聲の形』(2016)を見た。まあよくわからんのですが、ストーリー上の説明が足りなくて最もわからなかった点は石田をみんなで川からひっぱり上げたのは島田とかだ、というところだ。植野がそう言うのだが、石田は硝子を助けた後にマンションから落ちたのではなかったのか(この点ネタバレ)。どの点の話なのか。最初の170万円の封筒を置いた時の話か。

石田も西宮も一人親家庭だったり、石田の姉の夫は(おそらく)日系ブラジル人だったりしてて、大垣のあたりの事情をよく反映した設定なんだろう。なんというか縁遠い世界だ。

総体として話をどう評価していいのかはよくわからん。思うに、加害者の主人公が被害者と和解もせずに仲良くなる話というのは、聴覚障害の事情をどれだけリアルに表現していたとしてもありえないという印象を受ける。西宮の母親も久しぶりに石田に会って平手打ち程度で済むというのもちょっとあれ。普通なら「二度と関るな」とか警告したり裁判所に西宮の自宅と学校から半径0.5kmの接近禁止命令の仮処分を申請とかするんじゃねえの常識的に考えて。そんなことできるのか知らんけど。

でもこの作品がだめだというのでもない。なんというか美しさはある、ただそれがいいのかよくわからん。加害者が自責の念に苛まれるのと、被害者の自己肯定感が低まりまくってどちらも死にたいというのが平行する理屈はまあわかる。でもなんでそれで和解もする前から被害を受けた側が加害側に「ちゅき」とか言っているのかという感じがあって、これは理屈が通らない感じがある。加害側にやたら都合のいい展開であるという印象は拭い切れない。被害受けた方は加害者見たら逃げるだろ、西宮が久しぶりに石田に会った最初の時のように。それがなぜ最初の1回だけなのかという感じが不自然に感じられてどうにも。見ただけで足がすくんで腰が抜けるぐらいいじめたのでないと転校せんだろと思うので、まあよくわからん。

良くも悪くも日本人が作る物語という感じはある。泣くのは登場人物の勝手だが、それをそのまま映像表現にされてもわからん。映像表現の点ではもっと因果関係が明示的になるよう作ってくれんかなと思う。いずれにせよ、涙の描写で何かを表現しようとするのがちょっと安すぎる感じがして俺は好きではないです。なんというのかこういった直接的な表現を避けられないものか。たとえば、「主人公は常に下を向いている(た)」ということの映像表現を全員の顔に×としたのはすごくおもしろかった。下を向くのをやめた、ということの表現として×がひらりと取れるというのもいいと思う。その延長として、どうして「石田が泣く」とか「西宮が泣く」ということの映像表現は「泣く」しかなかったのか。ここがちょっとあれ。病室から起きて橋に来た石田を幽霊ではないかをたしかめようとして、西宮が石田を指でつつくのとかもすごくいいな。

しかし久しぶりに本邦のアニメ作品を見た。某『サマーウォーズ』よりはよほど真剣に考えた感じの話なので俺はこっちの方が好きです。

2018年8月29日水曜日

メモ:米WIREDと本邦ワイアードの違い

本邦だとまず著者はどういう人なのかの説明がある上に要旨までつけてくれる。しかも一つの段落が新聞並みに短いときてる。これはどうやっているのかと思ったら、翻訳時点でパラグラフをバラバラに分解していると原文を見て知る。なんつうか本邦の読者はこのぐらい手をかけてもらわないと最後まで読めないんやなと知った。まあ俺もそうなんかもしれん。恥だ。
[要旨] 多くのスタートアップが集中する米西海岸のサンフランシスコ。テクノロジー産業に従事する人々が多数を占めるこの湾岸都市は、その成長に伴って社会経済のカースト化が進んでいるという。その実態はどれほどのものなのか? そしてサンフランシスコの「外側」にも広がっていくのか──。創業初期のフェイスブックで活躍した起業家で、ベストセラー作家でもあるアントニオ・ガルシア・マルティネスによる考察。

メモ:民営の高速道路はメンテされないので(文字どおりに)落ちる

小泉内閣が民営化したものの中に高速道路がある。建設時点では公団だったので安心だと思う皆様、今後はこのようになりますという話やな。特に世界中で公共財を民間に切り売りして回るシカゴ学派の話(というか『ショック・ドクトリン』)をいま読んでいるので、今後この記事のようになる確信を持っている。それが10年後か50年後かは知らんが、意外と早く来るんじゃないでしょうか。

2018年8月28日火曜日

メモ:深田恭子にアイヌの民族衣装を着せるのは cultural appropriation

これはやっぱり cultural appropriation にあたるんでは。深田恭子はアイヌ民族では(たぶん)ないのでその人にアイヌの民族衣装を着せるのは、ど真ん中の「文化の盗用」だわね。2年ぐらいまえに海外であった、ファッションモデルに小数民族を背景にして撮ったとかいうのと同じだろう。 これはプロの人による手厳しい批判があるだろうから Twitter でよくお見かけする丹菊氏とかを注視していたい。

イギリス・アイルランド映画『麦の穂をゆらす風』(2006)

イギリス・アイルランド映画『麦の穂をゆらす風(The Wind That Shakes the Barley)』(2006)を見た。まあこのストーリー事態はフィクションなんだろうけど時代背景は歴史に基くものだ。まあ大変な話ですよ。こういうの見て大変さが理解できるというのはまあ正気なんじゃないかと思います。この話はアイルランド自由国が成立する1920年前後の話なので、同じくケン・ローチ監督の『ジミー、野を駆ける伝説』はこの10年後が設定になっているわけだ。

『オックスフォード事件簿』の若い頃のモースの上司のサーズデイ警部補のロジャー・アラムも出てくるし、『ゲーム・オブ・スローンズ』のスタニスの騎士だった元密輸業者のサー・ダヴォス役のリーアム・カニンガムも出てくる。ロジャー・アラムは超脇役で途中で処刑されてしまう地方の領主だけど、リーアム・カニンガムは記者の運転士でそのあと義勇軍に志願して主人公と共に戦い敵は金持ちだよと説得する超男前の役だった。ゲームオブスローンズのサー・ダヴォスと共通するキャラクターの作りだった。とにかくリーアム・カニンガム演じる男ダンが超絶にかっこよい話なので見る機会がある方はどうぞ。

2018年8月27日月曜日

戦わない石破に未来はないし、戦ったとしてもなかっただろう

キャッチフレーズ「正直、公正」を今後使わない考えを示した。「安倍晋三首相への個人攻撃」との反発が党内に根強いことから、支持拡大のため封印した
完全にアホでしかない。だから言っただろ?今までそんなものはなかったんだから、それをあったかのように振る舞うなんて土台無理な話なんです。 安倍個人と闘う選挙でしかないものを「個人攻撃だ」と言われたぐらいでびびる姿勢なんぞ見せてしまって石破、お前は負け確定だよ。戦術的にはそういう話だし、 戦略的には普遍的な価値を持つ看板「正直公正」を降ろしたってことはこれからも嘘つきますねという話にしかならんだろ。 安倍と同じように嘘ついてきた人生なのに総裁選に負けたぐらいで命まで取られてしまうなんて石破氏はかわいそうだな。もちろん命を取るのは俺ではなくて 総裁選に勝った主流派がですね。

※追記(2018-08-27)このニュース嘘らしいな。政治部記者の罪深さときたら、現職有利のためには嘘まで流すのかといった感じある。岩尾記者が政治部なのかは知らんけど。
『ショック・ドクトリン』を読んでいるが、これを原語で読めない我が学力にうんざりする。まあそれはともかく、翻訳はえれえもんだなあ。 フランシス・フクヤマがやったのは自由主義陣営の勝利宣言よりはむしろ新自由主義陣営の勝利宣言という側面が強かったのでしょうか。 「おまえらから全てを奪ってやる」って旨の勝利宣言を最近おこなった、田端とかいう元LINE執行役員がいましたね。あれなんやな。

2018年8月26日日曜日

メモ:公文書を廃棄する国にようこそ

この国は公文書を焼却/廃棄する国だ、などとえらそうに嘯いてましたらまたこれだ。もはや、こういう廃棄を決裁した者には刑事罰をもって償わせるべきなのではないか。記録つくった人間はもうほぼ死人だから報復されないだろうと思って余裕ぶっこいて廃棄しているので、こういう狼藉をしっかり覚えておいて我が事のように怒れる想像力が戦後世代には求められているわけですよ。必ずこの悪意の落とし前をつけさせてやる、と。まあ悪意というか上からの命令ということかもしれんが、結果としてはどっちでも同じことだ。

ETV特集『隠されたトラウマ~精神障害兵士8000人の記録~』(2018)

TVドキュメンタリー『ETV特集: 隠されたトラウマ~精神障害兵士8000人の記録~(データで読み解く戦争の時代 第2回)』(NHK教育, 2018) 放送日: 2018年8月25日(土) 午後11時10分(60分)
を見た。とはいえ、何がよかったとかどこに注目すべきだったのかは素人なのでまったくわからん。終戦時に陸軍からカルテを焼却せよという命令に国府台陸軍病院の医師たちが背いてカルテを持ち出したおかげて8002人分のカルテが残っていると。国府台陸軍病院の医師の子孫が経営するどこかの私立の精神科医院の倉庫に保存されているという現状が何よりこの国は常に公文書を焼却/廃棄する国だという事実を雄弁に物語っている。

他には、河北省の治安作戦で精神障害になったという話と初年兵の教育時になされた私的制裁で発病したという話、 知的障害の人がなぜか戦地に送られ(て発病して国府台に送られてき)た上に恩給不要の扱いにされたというでたらめな話、今年になってまだ入院している人・入院なしで治療している人があわせて6人いるという話は衝撃大きすぎた。 本邦の人らがこの程度のドキュメンタリーでも見る人たちであればこの国はもっとよくなってたんですかね。知らんけど。

このドキュメンタリーの主題は精神障害として国府台陸軍病院で治療を受けた人の話だったので、中国の治安戦で民間人を殺害したような話は出てくるもののそれは主題じゃないところが撫順戦犯管理所で「認罪」した人の話を追うような野田正彰『戦争と罪責』とは違うところだなという理解をしている。いずれにせよ、ネトウヨとかの歴史修正主義者はハッスルするだろうな。

ニューギニアには兵力20万人投入されて18万人が戦死・病死・餓死し結局国府台に送還された精神障害兵士は52人、みたいな話が音声でさらっと流されるだけなので、ぜひ死因別とか日本軍兵士だけでなく現地民間人を含めた被害者数(敵味方区別なく)を数えたものを全ての地域について「データで読み解く戦争の時代」第3回としてやってほしい。これは最後の砦の一つであるETV特集に課せられた義務だと思ってほしい(まあ無理かもしれんけど)。まあ既にやってたらすいません。

この番組で知った清水寛、中村江理(他にもいたが忘れた)といった専門家の人の仕事を読んでみたくある、とは思うのだが俺には無理かもしれんな。能力も金もなくなってきた。

2018年8月25日土曜日

枝野の3時間演説本を #えだぼん と言うらしい

#えだぼん がよく売れているらしいけれども、アマゾンのおかげで書店がばたばたと倒産している現状を見ると高齢者にはあまり届かんかもなと思いました。結局この話って Twitter のあたりをぐるぐる回っているだけのような気がするものな。ははは。上西氏の解説入りというのを見ると欲しくもあるのですが、悪の扶桑社に金は遣らんとずんと前に決めたので古本まで待ちます。

ドイツ映画『ヒトラー暗殺、13分の誤算』(2015)

「ヒトラー暗殺、13分の誤算」(2015)というのを見た。いやーすげえわ。おわり。 暗殺みたいな手段であったとしても反体制の闘士として名誉が回復されるのほんますげえな。 よくネトウヨが言うところの「平和主義者のくせに暴力なんて手段が主張と矛盾ー」という話にはどう答えるかの ヒントになっているな。要は矛盾してないってことなんだけれども、「平和主義」の意味を個人の行動原理としての「非暴力」を指すものだったとしたら たしかに競合はするかもしれん。だからまあそういうのはやめたほうがいいんだと思うわけですね。個人の行動原理としての非暴力をやめようという ことではなくて、憲法9条の戦争放棄は国家に対する命令だという理解から一歩も外に出なければいいだけの話だろうと思うわけです。そうすると たぶん人民の権利としての抵抗権と矛盾するところはないんじゃないのかな、知らんけど。

エルザーの行為は抵抗権を行使するための条件を見たす(とはいっても吹替のせいか明示的ではない。原語だとどうなんだろうか?)と彼の役によって語られる場面がある。それ以外の手段はもう封じられたと、収容所に入れられた友人の共産党員に話すシーンがたぶんそれだ。 直観的にはわかるんだけど、抵抗権(革命権)というのは個人の権利として理解するのは難しそうな気がするので(なぜなら個人で他人を傷つけるのは基本的人権の侵害だから)まあよくわからん。他の手段はなく、国家権力という集合を空にするような試みだからOKだという感じでしょうか。

「憲法9条を素直に読むと自衛隊は違憲」の暴力性、といった理屈を考えつく関東在住のネトウヨ法哲学者であればもちろん上記のようなネトウヨ的見解を支持する理屈を思いつくのでしょうけれど、まあそういうのに反論するのは誰かやってくれや。

2018年8月24日金曜日

6の剰余類環だとℤ6ではなく6ℤなのか。ともあれ、Nikonがℤよりすごいマウントを出そうとしたらℚかℝかℂぐらいしかない。

メモ:大事なことなので「私は立法府の長」は2度言う

ここのところ、実際には会議録では改竄されて「行政府の長」となっているらしいな。ちょっとひもづけしておきたい。

メモ: パートナーとの同居期間が長いほど相手と交尾したくなくなる

女性にとっては、家に子供がいることが何より、性欲を損なう要因だった。
「そういう気分じゃない」ようになるのは女性の方が 同居相手とのセックス. BBC NEWS Japan. 2017年09月14日.
ちくしょうめ。ああああああ。

内田博文『治安維持法と共謀罪』(岩波新書, 2017)

内田博文『治安維持法と共謀罪』(岩波新書, 2017)をよんだ。 大変やな。基本的にはお先真っ暗という話。ただし戦前と違うのは私たちには武器があるんすということらしいので、 まあみんながんばってね。とくに御用の類の社会の中での生命をその武器でなんとかしたいところですわね。

しかしこないだのNHK教育の『ETV特集: 自由はこうして奪われた~治安維持法 10万人の記録~』(2018)で出てきた荻野冨士夫と内田博文はどちらも 超絶な白髪であってつまり、二人とも名誉教授ってことやな。 彼らに文句があるのでは(当然)なく、現役世代の専門家はおらんのか出てこれんということかしら。

出典というか註はいっさいないので、おそらくみすず書房版2冊のダイジェストといったものなんだろうと思っている。いずれそちらも。 しかしまあ精力的に書かはるなあ。

2018年8月23日木曜日

静岡大の行方不明の人見つかるといいですが

昨夜ビーチで花火やってた男女あわせて3人というのは、普通に考えてリア充だったんじゃないでしょうか。 静岡大学の行方不明の方、これから threesome をやり放題だったかもしれない(それはそれで大変うらやましいが)のに、それももう叶わないのかもしれん。かわいそうにな。

絵に描いた餅としての「人文学・社会科学の外部性」

税金を投入して人文学[・社会科学]を振興する(略)ためには、教育を受ける本人だけではなく、社会にも役立つという外部性を強調する必要がある。外部性としては二つのものが考えられる。第一に、個々人がよりより選択ができるだけではなく、社会全体での意思決定を行う際に、よりよい意思決定ができるようになるという点である。いわば「公共選択の改善」という外部性である。人文学・社会科学を学んだ人がよりよい公共選択を行えるのであれば、その比率が高まることで、社会全体の意思決定もよりよいものになり、その便益はそれらを学んでいない人にも及ぶ。
ってありますけどもやな。もちろんここで明示的には触れられていないけど「第一の外部性」に含まれているものとしては、 たとえば(内閣提出)法案に対する批判がある。 結局冷笑ネトウヨの類いしか輩出できてない現状では第一の外部性はほぼ皆無としか言いようがないんじゃないの。たとえば、 「歴史を教訓に使うな(要旨)」とか息巻くのがこちらです。 近現代史に治安維持法の教訓を見出さないのであれば共謀罪には徒手空拳で対抗するしかないのだから、いやはや大した外部性ですわね。 かつて教育を受けた本人であるプロにおいてもこんな具合なんだからましてやこれから教育を受ける本人なんぞもっとすごい認識になってそうだ。 個人的には残念ですけども、この現状でそんな外部性の存在があるといったところで鼻白むわ。

メモ:台風とか警報がどこで出てるかの地図上 Live

これはけっこうすごいのでメモ。
佐川氏の懲戒が天皇交代による恩赦で消えるのなら、民衆法廷で刑事裁判やったらええやろ。内閣と首相夫人の私物化も含めてぜんぶ民衆法廷をやろうぜ。 まだ一度も審理してないんだし二重処罰になることもなかろう。この民衆法廷の意味での「人民裁判」ならただの集会なわけだしなんも問題ねえわね。もし不幸にも今分限裁判中の裁判官が罷免とかになってしまったら彼に裁判官役をやってもらえばいいのでは、まあそれは夢想にすぎるとしてもやな。 本当に自前でラッセル法廷とかできん法律家とインテリしかおらんで何が先進国だ。という感じはしますわね。いや、女性国際戦犯法廷の例が過去にあるのでいかにも先進国だなという感じはある。そこで主流法律家には今回こそがんばってほしい。内田博文氏によると戦前と同様に弁護士自治が風前の灯という話らしいんでいっちょがんばってもらわんとやな、まあ大変やで。

とはいえ今やるとめでたく共謀罪適用第一号になりそうな気はするので、まあアムネスティに良心の囚人に認定されるつもりで気合い入れてがんばってほしい。 知らんけど。

続・ふたたび #政府は安田純平さんの救出に全力を尽くせ

Tarik Abdul Haq, a Syrian who has said he is in contact with Mr. Yasuda’s captors, said in an exchange through Facebook Messenger that he had handled the sale of the video to Japanese channels for a commission[.]
だそうで Tarik Abdul Haq という方が代理人か知らんが少なくとも捕獲した人と連絡がとれるわけやな。「この代理人はまやかしに違いない」と言うのと「人質を救出せよ」というのとどちらも無責任さでは変わらんだろ、ということを今さらながら確認しておきたい。当たり前だけどどちらも被害当事者でもその家族でもないので。

メモ:ソフトウェアプロジェクト失敗の責任はユーザにあるの?

旭川医大とNTT東日本の裁判で思うのは、なぜユーザーが悪いという話になるのかよくわからんのよな。記事読めないから余計に。 悪質な客なら「よそ行っとくれやす」で済むもんなんじゃないの?
電子カルテを中核とする病院情報管理システムの開発が失敗した責任を巡り、旭川医科大学とNTT東日本が争っていた訴訟の控訴審判決は一審判決を覆す内容だった。

札幌高等裁判所は2017年8月31日、旭川医大に約14億1500万円を支払うように命じた。2016年3月の一審判決は旭川医大の過失割合が2割、NTT東が同8割として双方に賠償を命じていたが一転、旭川医大に100%の責任があるとした。同医大は2017年9月14日、判決を不服として最高裁に上告した。

メモ;匿名の名前を出すのはアウティングなのか

誰の話が念頭にあるんだろうかと思って調べていたが、どうも匿名をバラすという話と、それが大学の先生だった場合について文句ある人がいるようだ。 あとはそれを行う人間は「リベラル」らしく自らの行動規範に矛盾するだろpgrといった御主張の様子らしい。 たぶんラジラジ言う奴の話だろうけど、おそらくそれだけでなくて今日この話題が出たのはdada(@yuuraku)なる冷笑ネトウヨが顔バレして、今まで彼がクソリプを送りつづけた相手に喜ばれたというきっかけがあるようだ。

2018年8月22日水曜日

メモ:東京オリンピック2020による搾取

日本のオリンピック関係者が身分制度を指向していると聞いて、どこらへんがそうなのかもっと説明してくれんかと思ったり。

メモ: マンガの持つよい可能性と悪い可能性

マンガの良い方の可能性と悪い方の可能性を見せる2例といえそう。一つ目はゴミの例。 もうひとつはほぼ30年前にこれ書いてたのかあすげえなという例。

ふたたび #政府は安田純平さんの救出に全力を尽くせ

誰か官房長官に進捗を聞いてほしくある。 誰がやってくれそうなのか知らんし仮に進捗があれば聞くのが適切だとも思わないが、そもそも何もやってないのなら進捗も何もない話だし、 現時点ではその可能性が高いわけですよね。つまり進捗 0% に決まってます。 メディアのみなさんはジャーナリストを救えと政府の尻を叩けよ。それともフリーランスの命は安いとでも言うつもりか?

Myu confirmed that she does believe the man in the footage is her husband [Jumpei Yasuda].

Chief Cabinet Secretary Yoshihide Suga admitted that the man in the video was likely to be Yasuda.

菅官房長官と妻のMyu氏があの動画を見て安田純平だと認めた/信じたわけですが、 ではいったいあれを見て「本物かどうかは疑わしい」とした言明はどう説明ができるのか?
安田さんと親交があるフリージャーナリストの藤原亮司さんは、「言葉のなまりや韓国人と名乗っていること、それに日本語でしゃべらせていることなどからみて、本物かどうかは疑わしい」と話している。
というのは俺が考える必要もない話ですが。 まあ不思議なこともあるもんやな(真顔)

余談というかアメリカの事例をちらっとだけ見てたのですがこっちのケースはとっつかまって6年たつが生きているにちがいないとの話。でもアサドと同盟のグループらしくて困難している、というか裏チャンネルを作る試みは2017年に失敗したとある。しかしトランプ大統領下の行政で少くともこんだけやってるんだぜという話で、人質は交渉しないというかつてあったらしいアメリカの方針は既にそんなもん存在しないわけですよ奥さん。これ今年の8月14日の記事やで:
Six years after Austin Tice, a journalist and Marine veteran, was abducted while reporting on the war in Syria, his parents expressed confidence on Tuesday that he was alive.

He was detained at a checkpoint on Aug. 14, 2012, near Damascus, days before he planned to depart the country.
進捗さえわからないのは単に何もやってないからと疑うべきところなので、市民の皆さんは黙らなくていいので声上げてください。ほとんどの人は被害当事者にはなれないので無責任にがなりたてる以外にできることないと思うんですけどね。金を出すとか、他にできることがあるのでしたらどうぞ。

2018年8月21日火曜日

メモ:東京高裁事務局の悪意ある作文という話

表現行為の一部だけが切り取られ,あたかも私がとても品のないツイートをしているかのような印象を東京高裁長官に与えるということが,東京高裁事務局によってされたことが過去にある
これが事実だとすると大変やな。そういうまずい引用のやりかたというのは避けるべきだと大学で教えてもらうか叩き込まれるべき話なので、そういうのを通り越してきたのだとすると大学教育の失敗ということになるし、実際(俺も含めて)ほとんどの人がそうなんじゃないの?という気はしますわね。まあこれは分限裁判を起こす人が正気だった場合の話なんで、悪意満載でやる人はどんな教育を受けてても無駄かもしれんわな。

いずれにせよこの話、『余命三年時事日記』ブログ記事による懲戒請求の扇動と似たものを感じるわな。差別主義者どもの懲戒請求の対象にされた弁護士の方が下のような論説で反応されているのは偶然ではなさそうだ(知らんけど):
ツイッターを今すぐに止めなさい、という要求は、行き過ぎたもので、個の侵害にあたり、パワーハラスメントと評価されると言えます。
パワハラをしてしまうぐらい遵法意識の乏しい人間で裁判所が回ってるというのを知るのは若干恐しさがある。令状主義が形骸化しているという話よりももっと悪質感ある。ないか。というより、当事者の誤解にもとづく苦情一件だけでここまで話進むのって組織として全然ロバストじゃないですよね。これなら「分限裁判すんな」と苦情を10000件ぐらい出前すれば止まるのかしらね。まあ当事者でないので効かなさそうですが。

要はこれは彼に悪意を持つ者の運動であって、この分限裁判の例だとネトウヨのブログを見て扇動された狂信者が実行犯なのではなく、最初から裁判所の組織内にいたというだけの話だな。その狂信者が組織の上の方にいて、権力を私物化して運動をしていると、こういう話です。民進党が原因でござったのは事実としても、そういった国会追求を奇貨とした者が組織内におるんだわね。だから犬のツイートにほんとに苦情は来たかどうかの事実の有無は開示しませんとかそういう話になるんだろ。まあそんなことは最初から明らかなのかもしれませんが。

相手が弁護士だと在野だしネトウヨとはフラットな関係で専門知識があるだけ弁護士が強いわけですが、このケースだと組織内だし孤立無援感ある。 まあどんな判決出してた人なのか存じませんので、いまいち乗れないけどな。

『暮しの手帖』でバターチキンカレーのレシピを探す

NHK『サラメシ』で『暮しの手帖』編集部の井田さんという方が作ってらしたバターチキンカレーの記事を探していて、おそらく2017年10月から11月のあいだに出た号(おそらく90号)のはずなのだが、Webで見られる目次には一切掲載がない。時期はこのあたりだと絞ったのは、 Instagram 上や共産党員の立候補者のブログに『暮しの手帖』にもとづいたレシピでバターチキンカレーを作ったという投稿がある時期が10月のあたりのため。電話で聞けばいいのか。

バターチンコカレーなどと文言を変えても掲載はないようだ。当たり前だ。

メモ:

この話は素直にうらやましいですわね。まあインドネシアはインドネシアで人権状況は真っ黒のようですが(下を参照)。 「ぜいたくは敵だ」のコピーは暮しの手帖の人だったのか。それと糸井と暮しの手帖の関係がわからんけどもあれ。

韓国TVドラマ『オクニョ』第18回

じゃっかん冗長な作りになっているので途中を見ない人でもこの回だけは見るとだいたいの話がわかるという感じになっている。 凶作と塩の入札の経緯とか人物関係とか、そのうち誰が誰と敵対関係とか、主人公の女性のウリは何なのかとか。 というわけでまあすげえわね。NHKの海外ドラマ調達部はええかんじの仕事してはりますど、ただし邦題の付け方は糞なんとちがうか。 なにが『運命の女(ひと)』じゃ間抜け。『獄中花・옥중화』のままでよくない?

2018年8月20日月曜日

兵站のない公立校が甲子園で優勝するには

金足農業と大阪桐蔭の決勝といっても、兵站のある軍と兵站のない軍が勝負したらどっちが勝つ?という話でしかないので もともと公立校には不利な勝負です。なんせ兵士が餓死するほど兵站のない軍を持ったことがある(おそらく今も持つ)本邦ですので誰でもわかる話やな。 甲子園大会が私学ばかりになるという話になるのは結局社会の縮図感ある。なんと呼べばいいのか知らんが。 アマチュアでやるオリンピックでも結局そういう資本的裏付けのある選手が勝つのは同じなんでオリンピックをやめろとは思わんけれど、 熱中症で野球部員がばたばた倒れるほど無能な指導者ばかりなので本邦の夏の高校野球大会はやめた方がいいのではと思いますけどね。

※追記(2018年8月22日)同じ話をしてる方がいらしたのでまあそうやなあと。

メモ:安倍首相夫人が宣伝するイベント運営会社が被害額60億円の投資詐欺(容疑)

このねずみ王様の話、韓国ドラマ『オクニョ』を見てるとすごくよくわかるな、朝鮮半島の歴史を悪しざまに言いたいわけではないのですがそこに出てくる王様の母親の弟の側室「鄭蘭貞チョン・ナンジョン」がやばすぎてな。どうもこの人は実在の人物だったらしいがドラマでもほんまやばいのよ。 フランスではどうだったのかは知らんがまあ例を出してほしい。というか韓国ドラマの視程の長さというか視野の広さというのかに受ける。ほんまに社会的なつくりやな。

しかしもはや事実上は立憲でない君主制(絶対王政か外見的立憲君主制か)の世の中なんだったら奥様に対する批判も嗅ぎつけられて小林多喜二のように太股を赤黒く腫れさせて死ぬということやな。うはは。 という感覚が真っ当なものだと信じていることにします。まあ知らんけど。

いつか必ず安倍昭恵を公衆の前に引きずり出して、 それこそ社会主義者であれば「行政と半-公人の肩書を私物化する安倍夫人は人民政府ができた暁には人民裁判によって断頭台上に裁かれる。人民政府ができるのは近い将来である」というべき話[1]だな。

  1. ^ここでの記述は「云々の警察官は人民政府ができた暁には人民裁判によつて断頭台上に裁かれる。人民政府ができるのは近い将来である」は脅迫罪が成立しない事情として、その理由を
    このこと自体で直ちに害悪たる断頭台上に裁かれることが被告人自身において又は被告 人の左右し得る他人を通じて可能ならしめられるものとして通告せられたものと解 することはできない。むしろ被告人は警告を発したものと解するのが妥当
    広島高松支判昭和25年7月3日高刑3巻2号247頁
    とした判例(PDF)にもとづいている。
しかしこのPDF,裁判所のウェブサイトから探しても判例検索ではまったく引っかからないのにGoogleだとウェブサイトの横に穴が空いていて引っかかるのが受ける。全文検索で「断頭台」and「脅迫罪」で引っかかる判例なんかこれぐらいしかなかろうに、ふざけてるのかしらね。

メモ:フランスの村が難民を救う話

うーんこれはすごい。EUでは最初に来た国だけが庇護の地の選択肢らしい。(スーダンから)イタリア経由でフランスに来た人が4人の中にいて、でもその人も結局フランス当局が庇護することに決定したのだそうです。それは Faux-la-Montagne 村の人が集まって抗議したからだという話で、ここらへんがいろいろとすごすぎる。これが先進国に住む人の人権意識なのかという感じある。翻って、地獄にようこそ。
このAJ+とかいうアルジャジーラのニュース動画もいい感じでつくられてて本当にすげえなと。
まあでもよくわからんのはあれやな、庇護はきまっててそれがイタリアでなくてフランスになっただけの話に村総出で抗議という話だったとしたら意義があんまりわからんかな。と思ったのだけど庇護を求める人が話せる言語の都合というのがあるわな、動画だとフランス語を話してはったようだし。
追記: 記事を見つけた。 http://observers.france24.com/en/20180727-village-plane-france-stop-deportations

「暴力団と契約するような衆議院議員は全く信用ならない」は良い対人論証

石破氏は公開討論会で最も効果的な対人論証として安倍氏の選挙事務所が暴力団とかかわり、そして窶らに火炎瓶を投擲されたことを指摘すべきです。彼がそんなに身綺麗なのかは知らんので、まあせいぜい気張ってくれ。

TVドキュメンタリー『NHKスペシャル: ノモンハン 責任なき戦い』(2018)

まあすごかったように見えるけども、プロから見ると足りん点があるのは当然なので、それをもって俺の評価としたい。

大本営と関東軍はみんな悪いやつでしかも無能でしたが、とくに辻政信はすげえ悪かった上に、(優秀な成績だったにもかかわらず)超絶の無能でした。 というのがこのドキュメンタリーの要約。 辻政信の悪さは半端なくて、このあと狭義のアジア太平洋戦争が始まってからシンガポールで華僑の民間人を 虐殺してまわったわけです(その後ももっとある)。その話は 今回の範囲を越えるが、こいつは日本軍の悪逆非道ぶりとかつ無能ぶりを象徴する存在という感じだわね。 今回登場した辻政信の家族は「彼より上の階級は悪いやつじゃなかったのか」みたいな大変笑える口ぶりでしたが、 もちろん彼を含む全員を軍事裁判にかけるべきだったし、そして彼はかけられるべき筆頭だったというのは間違いなさそうです。

気になったのは、最後のところでノモンハンで捕虜に厳重に処罰する方針は『戦陣訓』として明文化され、のちに国民に強制されたというところで これは沖縄戦での住民の強制集団死(いわゆる「集団自決」)を匂わせてるんだなと(映像が沖縄戦のものだと思うので)わかるのですが、 言葉で明示的に言えよNHK。匂わせるな間抜け。

2018年8月19日日曜日

フーターズガールに対しても対してなくても人種差別はだめという話

本邦域出身のフーターズガールの方がレイシャルハラスメントを受けた話をハフポスト[1]で知った。

今こそ Elina Blackstock 氏のファンクラブを作って米フーターズガールを応援する本邦域内住民の会代表として渡米してサインをもらうべきだったのではないかと思ったが、彼女はすでに退店されているらしい。まあ俺は Blackstock 氏のようなきれいなお姉さんには(にも)一切仲良くしてもらえないタイプなんで誰か他の人間がやればいい(そもそも誰もそれをする必要はない)んですが、それにしてもアメリカは公民権法があっても人種差別が大変なんだわね。 ましてや本邦においておや、という話でTwitter(の公共政策本部か知らん)が人種差別撤廃委員会の締約国審査でハッスルしていた[2]ようだな。Twitterが閲覧を制限したアカウントは「International human rights NGO working to combat racism and discrimination.」なのでTwitterはどう見ても完全に反社会勢力の類いであります。もしかするとツイートの上限(2400ツイート/日、または50ツイート/30分)にひっかかったのかもしれんという気はするが、アカウント運用実績とその内容からどうみてもその適用除外にすべきアカウントだわね(詳しくは知らんけど)。恥を知れ感ある。

註・出典

  1. Hooters Says It’s Banning Customers Who Waitress Says Wrote Racial Slur On Receipt. HuffPost. 2018/08/17.

レベッカ・ソルニット『災害ユートピア』(2010)

レベッカ・ソルニット『災害ユートピア』(亜紀書房、2010). 440頁. 2500円+税.
(原書: Solnit, R. A Paradise Built in Hell: The Extraordinary Communities That Arise in Disaster. New York: Penguin. 2009.)
この本のジャンルはポピュラー人文学書というんだろうか、ポピュラーサイエンスの人文学版といった趣きなんだと思う。 ジャーナリズムに入るのか?ちょっとわからん。研究として見たときには、こういう作品はオリジナルの業績としてカウントしないのかもしれんけど俺のような パンピーが知る上でこういう本の存在は大切だからな。

最初の4章で大災害の事例に即して災害学やら災害社会学上の常識があること、 最後にハリケーンカトリーナに際して筆者が現地に赴きこれらの知見を適用してみた(5章)、というような話。災害についての常識は以下のようなものだ。 災害の直後に、被害当事者の中に相互扶助や利他主義からなる上意下達ではないコミュニティができるということ(1章)、 ボランティアは人の役に立ちたいと思って来ること、 ハリウッド映画に描かれるような「群集によるパニック」など決して起きないということ(2章)。 また、その外ではヒエラルキーのある組織が災害対応に際してパニック(「エリートパニック」)を起こし、被害者を敵視すること。 最後に、ハリケーンカトリーナの例もこれらの通りだと見た上で、 日常の社会が既に災害であると見れるので、この災害時とその延長にしか現れないコミュニティを日常に持ってきたい、という話だった。 とくにこの組織の対応に「エリートパニック」という名前がつけられているという話は新鮮で、この点だけでも知る価値のある話だろう。

こういう災害後に現れる共同体がユートピアだか楽園とかと名前がつけられるの、たしかに小説で登場する楽園と似ているところがある。 たとえば『ガリバー旅行記』のフウイヌム Houyhnhnm が住む世界がガリバーにとって(おそらく作者のスウィフトにとっても)ユートピアっぽいあつかいだったりする。 フウイヌム(馬)が嘘の概念を知らんかったり、物はぜんぶ共有しますねと言っているところが本書で対象になる相互扶助と共通している。まあそれは今どうでもいい。小説は現れない前提で書かれているが、災害の場合はその後に発生し、そしてだいたいすぐ消滅する。消滅せず、そのままほぼ革命に至った例はメキシコ大地震などがあるようだ(3章)。のちに、災害後に発生するこの相互扶助の共同体を持続させたいという話になる(エピローグ)。

本書は1906年サンフランシスコ大地震から2005年ハリケーンカトリーナまでの話で一貫してアメリカ大陸の話なので、 時間と空間をずらしても適用可能な普遍的な事象なのかということについて、つまり本邦の人々に適用可能なのかという興味がある(俺は日本語でこれを読んだので)。 このような相互扶助を発揮するコミュニティは、たとえば東日本大震災ではどうだったのか?発生したのか? 今年の西日本豪雨災害ではどうだったのか?現時点でもそれは行われているのか?というところに興味がある。 誰か同じ視点に立ってまとめたり考えたりしててくれないんだろうか。 というのも、俺はこのようなコミュニティが発生するかどうかは(例えば)一般的信頼の関数になってるんじゃないかと思っている。 つまりこういったコミュニティの発生には条件があって、 本邦では起こっていないとか別の現象があるんではないかとかそういうことが気になっているわけです。 エリートパニックについては、本書では関東大震災下の朝鮮人虐殺の例がちらっと数行から1頁程度取り扱われるが、結局のところそれらは ハリケーンカトリーナや1906年サンフランシスコ大地震であったようなエリートパニックとあまり変わらない様なのです(このことは本文には明示的に書かれていいない)。 まあそれはそれでいいんですが、本書で示されたような相互扶助の性質を持つ幸せなコミュニティが本邦で発生した/しうるのかどうか? ということが知りたいわけです。2010年当時これがどれだけ話題になったんだろうか。俺が知ったのも2011年以降だった。

気になるのは表記の揺れ。こんなもん機械つかって自動化とかなんとかせえやという印象しか受けない誤植をよく見る。 「シエラクラブ」と「シエナクラブ」とかな。あとは「ボーゼマン」とか、これはモンタナ州ボーズマンのことだと思うので表記の揺れというよりは 発音に則ってない表記の問題かもしれんが。

白水社にとって差別主義者の嘘つきは、勉誠出版にとっての愛国阿片の関係と同じだった

フランス語の教科書などを出してた白水社が池田信夫の本を出すようです。 「やれやれ」では背景を共有している者以外には意味が通じないので俺なりに咀嚼して書いておくと、この池田信夫は病的な嘘つきで名誉毀損を繰り返す差別主義者であり歴史修正主義者です。本業は経済学らしいがそっちの方は知らん。例えば彼が2016年7月に彼の公式サイトに掲示した謝罪広告は以下の通り(らしい)[1]
2014年9月1日に当ブログに掲載した記事において「慰安婦を食い物にする高木健一弁護士」「ハイエナ弁護士」と記載したことは誤りでしたので、高木健一弁護士に多大なご迷惑をお掛けしたことをお詫び申し上げます。
もうひとつは伊藤和子氏に対して行った名誉毀損がある[2]。こちらは謝罪広告が棄却されたために謝罪文は存在しないらしい。 この差別主義者の嘘つきが語学書とかフランス語等からの翻訳書で(おそらく)実績のあった白水社から本を出すという話で、彼の仕事が他の出版物の価値を下げるという意味で上記の「やれやれ」に至ったということなんだろう。知らんけど。

ところで、最近良心的なタイプの学術出版社がネトウヨというかプロ反動になったという話があった。
勉誠出版がネトウヨ化しているというツイートを見て、へ?と見に行ったら、ほんとにすごいことになっていた。(中略) 個人的にも、けっこう心のダメージ大きい。 こうなっちゃったことについてもショックだが、こうならざるをえなかった出版の現況を、突きつけられる。 藁をもすがる。愛国阿片をもすがる、出版の今。 しかも良心的な本を出してきた学術出版社が、だ。
内部事情は外からはわからないし俺なんかは完全な外野だが、おそらくこの勉誠出版の話と似たような事情なのかもしれん。 貧すれば愛国阿片またはヘイト阿片的な。

勉誠出版のネトウヨ化を嘆いた方が Twitter でやったことは
#勉誠出版の学術オススメ本を紹介して勉誠出版の学術ジャンルを応援する
というハッシュタグを作ることだったので、これの白水社版として
#白水社の語学書オススメ本を紹介して白水社の語学書を応援する
などを行えばいいんではないか。まあ既にあるのかもしれん、と思って確認してみたが今のところそういった動きはなさそうである。みんな盂蘭盆会だから ヒマこいてるのかもしれんし、そもそも白水社とかはどうでもいいのかもしれん。学術書でないとプロからは推してもらえないんかもしれんな。 素人のフトコロはアテにできないからこその左前という現状があるのだろうし、素人からの推しは到底期待できそうにないんでしょう。かわいそうにねえ。 「沈没する時は一緒だよ」と言われている感じありますね。わはは。

註・出典

  1. ^ 「らしい」のは掲示期間を過ぎているために確認できず、ハフポからの孫引き。「藤岡信勝氏・池田信夫氏が「誤り」認め謝罪文 慰安婦訴訟の弁護士批判記事」ハフポスト. 2016年7月26日. 閲覧日: 2018年8月19日.
  2. ^池田信夫氏による名誉毀損訴訟、二審は賠償額が「倍増」114万円…東京高裁弁護士ドットコムニュース. 2017年06月26日. 閲覧日: 2018年8月19日.

2018年8月17日金曜日

ボストン・グローブ紙はほんま気合い入ってんな。もちろんそこだけでなくてすごいのは全米の新聞だけれども。『スポットライト』でカトリック教会の性的攻撃を報じたのもここだったわね、ぐらいの前知識しかなかったですが。本邦ではこういう話を報じるくせに自分では何もやらんというところがほんまあれやな。おいNHK,報道ステーション聞いてるか。

メモ:岡口裁判官が東京高裁長官から人権侵害を受ける(陳述書によると)

これに全国紙や在京キー局のどこもが反応しない事態をもって「メディアは掌握されている」と言ってもいいのかな。まあ知らんけど、大変な事態なのは間違いない。まあでも全国の公立教員も教育委員会に同じことされてんのやろ、ということで結論としてはみんな人権侵害されているということだな。まあ知らんけどほんとうに大変だよ感ある。 俺はむしろ、上のようなパワハラを受けて自らの境遇をはかなんで自死しようとしている人たちがこの事態を見て、無駄に自分の命を捨てるぐらいなら「これらの全体主義者は人民政府ができた暁には人民裁判によつて断頭台上に裁かれる」と抵抗するのではないかと期待しています。まあみんながんばってね。

メモ:「リベラル」とは誰か

ラジラジ言う糞の話がわりと紛糾しているのでメモ。こういういい加減な奴の本名を引っ張り出すのはアウティング(と呼ぶのか知らんが)になるのかならないのか問題が気になるので、ここでは「ラジラジ言う糞」というだけにしておく。

2018年8月16日木曜日

石破氏が総裁になるかどうかはどうでもいいが

フリーでなくとも記者の皆様には、石破にぜひとも現在海外で拘束中の邦人についての方針を問い正してほしい(個人的に、より興味深いのはシリアの件だが)。それが適切かはしらんが、答えたくないが重要な質問というのは当然あるのでそれを答えさせるべきだろう。たしかに杉田水脈のヘイトスピーチへの批判というのはひとつの重要な論点だがもちろん話はそれだけに止まらないはずで、及川氏の記事を見た限りでは、「フリー記者が質問できたぐらいで浮かれてる場合か」という話にしかならんので今後ともがんばってくらさい。答えたくなさそうだが効きそうな質問は、たとえば
  • 改憲案
  • 共謀罪
  • 安保法制
  • 秘密保護法
  • カジノ
  • 種子法の廃止
  • 水道民営化
  • イージスアショア
  • 消費税10%
  • 「高度プロフェッショナル制度」を名乗る労働時間規制の適用除外
など、なんぼでも挙げられるがそのどれも聞いてないか答えてもらってないでしょ。もちろんどれも無理に決まってるので聞くだけ無駄なのは間違いないです、なぜなら安倍ひとりでやった話ではなくてどれも党の方針として強行採決に走ったものばかりなので。そういうことを全部すっとばしてすわ石破首相か?とか言ってるのは3歩歩くと物を忘れる馬鹿でしかありませんので気をつけてほしい。既に気をつけてこれなんだろうけど、石破がそれらに賛成投票したことについてはどう考えるのかと聞いたらそもそも一瞬で終わる話だわな。「正直で公正に強行採決しますね(キリッ」「押しつけ憲法は死ね」以上のものが出てくるとは思えない。

だいたい石破の意図(というか建前か)を聞かずに「安倍首相の閉鎖的なプレス対応に風穴を開けたいのでしょう」みたいな話してたら世話ねえわ感ある。まずそれを本人の口から言わせてコミットメントさせるべきだし、むしろ首相会見の「質問者と質問内容の事前取り決め」を石破に告発させるように質問で水を向けたっていいぐらいだな。公開討論会でその告発をやらせると絵的には最高かもしれん。度肝を抜かれて口から心臓が出る晋三(ダジャレ)。

もちろん、俺個人は今から言うこの結末をほぼ確信している:石破にはたぶんそこまでできないかもともとやるつもりがないし、そもそも総裁選には負けてその後宣言通りに干されると思います(干される程度で済めばいいですね)。または安倍個人に私物化されてしまったという内閣情報調査室[1]に既に弱みを握られていらっしゃるのでは(かわいそうに)。当然石破がアイドルオタクなのだって把握済だろう。ああ恥ずかしい。

そもそも、立憲的意味の憲法にとっての一丁目一番地である基本的人権のキもない狂信者が徒党を組むLDPに一瞬でも期待してしまう発想が不思議でしかないし、 さっきの及川氏の記事見てると思うんだけど、 記事のトーンが「ワラにもすがる」感満載なのでそういうのはやめた方がいいよなと思っている。よけい足元見られてしまうというだけでなくて、誰が主権者なのかという点を完全に忘れてそう感ある。ネトウヨではないフリー記者の皆様におかれましては質問を許されたとしても要求は値引きすることなく高く売りつけてください。

References

  1. ^(自民党総裁選2018 安倍政権の実像:下)政府も党も、進む「私的機関」化. 朝日新聞. 2018年7月27日. URL: https://www.asahi.com/articles/DA3S13608168.html. 閲覧日: 2018年8月17日.

メモ:『NHKスペシャル ノモンハン: 責任なき戦い』に関連して

NHKのノモンハンが変なことをしたらしいのでメモ。
前回の多読についての所感に関連して、速く読めるようになるのはその作品1冊に限るという現象が気になっている。これだと話を覚えたから速くなっただけで、英語がわかるようになったから速くなったのではないことになるだろ?速く読めるのはあくまでもゴールではなくて前提なので、こういうことではいつまでも話が進まないということになる。たまらん。

話を覚えたからだけではなくて英語がわかるようにもなった、ということが複合的な効果として既に現れているのであれば、その状態で他の新しい話を1回目に読んだときにここまで遅くならねえだろと思うのですよね。もちろん英語がわかるようになったのであれば他の話を読んだときにこれまでよりはずっと速いという現象になってくれないと困る。たまらんな

2018年8月15日水曜日

メモ:杉田水脈への批判

えらいもんやな。糞野郎のヘイトスピーチに対峙するの、本邦にとどまる覚悟を決めてらっしゃるのやなという印象を受けてほんま高潔やなという感じある。 逃げ出さないでコミットする方はえらいねえ。ある考古学者兼写真家がスシにワサビを大盛りにするアジア人観光客へのレイシャルハラスメント(の可能性)を直視できない正常性バイアスをずっとお持ちのままだったのとは対照的だ。彼の方は本邦から逃げ出したのではなかったとしても、ああいうのはどこへ行っても社会にただ乗りする手合いだと見ている。
しかし世界にはこんなにきれいなお姉さんばかりやのに、一人ぐらい間違えて仲良くなってくれる方さえ存在しないもんなんやな。現実は厳しいねえ

2018年8月14日火曜日

もう今日はやめだ。おしまいにしたいところだが多読に時間がかかりすぎるので壮大なサンクコストになりそうだな。笑える。 ただ一つわかったことは、音読の最大可能速度(定義はない)と黙読の最大可能速度(同様)にはかなり関係がありそうだということが記録とってるとわかる。

ちなみに ここで言う最大可能速度は「気が散らない場合に、理解はしながらできるだけ早く読もうとして読めた場合にかかった時間」ぐらいの意味
ほんとうにすいませんな感ある。ごめんそれ俺。
レベッカ・ソルニット『災害ユートピア』を読んでいるがこれは面白い。これは誰が想定読者なのかは知らんが、少なくと普通にパンピーを想定するんだろう。それは英語圏で大流行りのポピュラーサイエンスと同じで、これはポピュラー人文科学といってよい作りだと思う(たぶんジャーナリズムではない)。まあ翻訳版に註がまったくないのはこれがポピュラー人文科学であってパンピーにはそんな註や出典はパンピーにはまったく不要なこと、もとが英語版だからどの出典も英語なんだしどうしても参照したかったらオリジナルを見ろという話なんだろう。英語が読めればそうするんですけどね。もうちっとこういう本の内容と対象読者による分類を教えてほしかった感がある。

まあそれにしても学問をパンピーに紹介するぞ感溢れる英語圏の読み物の多さときたら、みんな使命感持ってやってるんだなあ感ある。まあ読者が多いからこういうのできるわけで、没落する日本語では無理なんだろう。だとすればますます英語読めねえとか泣き言垂れている場合ではない。

メモ: #踊る阿呆は政治権力に屈しない

#踊る阿呆は政治権力に屈しない とかいう面白いタグができていたのでメモ。 この文言の起源は、もとは協会理事長の主張を要約した記事見出しの文言なので協会理事長だけでなく記者または見出しを決めた者(デスクか今西記者なのか知らんが)がうまかったのだろうな。この点についてはメディアが(も)よい仕事をしたんではないかと思う。こないだの杉田水脈の人相を見て占う糞記事は駄目すぎて糞だという評価は誰も変わらないと思いますが。知らんけど。 ※追記(翌日) 下を見てわかったのですが大しておもしろい話でもなかったようです。いきなり反権力を気取るという感じなのでまあ実に俺っぽくて残念。

2018年8月12日日曜日

報道特集に出すべき専門家は誰か

2018年8月11日放送の「戦争と記録〜毒蝮三太夫さんが語る戦争・焼却で失われたもの」(TBS『報道特集』)の回に出てくる専門家は東郷和彦はともかく御用ノンフィクション作家の保阪正康はねえだろ感あるわね。公文書の焼却の話をしてるんだろう?その文脈でガチの専門家を出すとなればそこは吉田裕の一択だろうが常識的に考えて(他にもありそうだけど)。なぜ保阪氏でいいと思ってしまったのだろうか。達者なのは口だけか。金平氏は保阪氏の発言を最後にフイウチ的に上書きすることで御用色を削ろうと苦心された様子がある。しかしここはやはり番組の人選は糞だと言わざるをえない。

なお、現在起きている事態が「官僚主権」によるものだという番組中の保坂氏の認識にはいくらか批判があるようでした。まあこれは俺は気がつかなかったのですが内閣人事局が存在する今はもう確かにその批判の通りなので、やはり御用ノンフィクション作家と呼ぶ以外に彼とその仕事の性格をぴったり示す表現はないのでは感ある。

メモ:野田正彰『戦争と罪責』の話

いまさら(というのは出た時期がだいぶ昔、90年代だったはず)のでおどろいた。まあ個人的には好き(というような話ではないことを断った上で)だったので評価も高いと今更知っておどろいたのだけど、さらに重大な疑義が湧いて色々とあれ。高い評価でも杜撰な仕事は後世になるとばれるんだなあ。という「研究者はすげえな」的お話をメモしておく。
道はまだ閉ざされてないかもしれないのに気力が足りないせいか何かでもう全てが終わりに思える。つらい

2018年8月10日金曜日

メモ:公私混同する超絶の馬鹿または行政を私物化する狂信者の行状

なるほど確かにその通りで、だとすれば在任中に加計孝太郎が亡くなったとしたら会見を開くことも厭わないだろうな、まあ亡くなってほしいとは思いませんが。

2018年8月8日水曜日

自称「友人」は友人を名乗るな

前回の記事で、人質救出が進まない原因として政府に次ぐ間抜けはいったい誰なのかを暴きました(真顔)が、皆様いかがお過ごしでしょうか。まあここで本邦に巣喰う「悪影響があるといけないので黙れ」とか「安田は助命を求めていない」とか「自称『代理人』の介入を許すな」とした与太を吐いてきたジャーナリストはむしろ素朴すぎてその存在が害悪だったことが白日の下に晒されたのではないか。

家族の方の意向はいったいどうなんだろうかと3年前からずっと思っていたが、やはり声を上げられない事情をお持ちだったようである。その証拠に会見の記事の記述を見よ:
Myuさん[筆註:人質の家族の方]は救出への悪影響を考えて沈黙を守ってきた。しかし、銃口を突きつけられた映像を見て、「何としてでも無事に帰ってきてほしいという気持ちがあふれてきた。状況が切迫している」と思い、今月、知人らと「救う会」を立ち上げた
朝日新聞 (2018年8月7日). 「安田純平さん妻 政府に早期救出行動求める」
ここで言う家族の方の「悪影響を考えて沈黙を守ってきた」という発言の念頭にある因果関係は、おそらくすぐ近くにいたであろう「悪影響があるといけないので黙れ」とか「安田は助命を求めていない」とか代弁する間抜けの呪縛に囚われた結果に得たものだろう。その呪縛は Twitter でおし黙ってしまった皆さんが囚われたものと同じ呪縛である。 もちろん仮にそうだったとしても、家族の方の今まで沈黙を保ってきた判断は正しかったものだと尊重されるべきだし、それよりは側にいたであろう「友人」や自称事情通だかの与太に被曝してしまっていただろう事情に深く同情するものである。たとえ家族が明示的に「助けて」と言っていなかったとしても、それを「助けるな」の意思表示と解すべきではない、という話を前回「他人の気持ちがわかる間抜け」という表現で説明(はしていないがごく簡単に触れる程度に話を)した。そして、家族の方の念頭にあった事情とは違っていたかもしれんが、その解釈について俺は間違っていなかった。やはり家族の方はずっと安田氏を救出してほしいと考えていらしたのであり、そしてこの家族の方が会見をおこないその旨を主張したことは正しいこととして俺は支持する。(俺に支持されたところで嬉しいものかどうかは知らんが、まあそれはどうでもよい。)

明示的に助けを求めるべきでないとし、またジャーナリストが現地に行く自己決定権を「自己責任」という表現で台無しにした「友人」に告ぐ。その言明は人質に取られた彼の自己決定権を台無しにしたばかりでなく、実際、人質解放に向けて何ら行動を取ってこなかった日本政府の態度を正当化する効果を持ったことを「友人」はよく理解しておくべきである。なお、本人が「(事前にパスポートを取り上げるなどの)自己決定権を侵害するな」という主旨で「自己責任」という文言を用いるのは(それなりに)当然の行為なのでそのことを否定はしないし、それよりはむしろ問題が「代弁」にあることは前回すでに書いた(ような気がする)。

結局、自称「代理人」を切らないでもっと精査すべきだったのではというNewsweek日本版の川上氏の記事がむしろもっとも穏当な話だったのだろうと今では思っている:
自称「代理人」を相手にするな、という議論もある。しかし、スペイン人やドイツ人ジャーナリストが、代理人を窓口とした交渉で無事に解放されていることを考えれば、代理人経由のルートは、拘束組織とつながっているルートであり、まやかしのルートではない。
川上泰徳 (2018年08月02日). 「安田純平さん拘束から3年と、日本の不名誉」 Newsweek日本版.
前回とここは意見を変えたところだが、まあ「代理人」というチャンネルで別件での人質解放に成功しているとは知らなかったためであり、この点についてはまったくの不勉強だった。 高世なる人物等が警戒していた、「自称『代理人』を見るとタカリではないかと思ってしまう事情」は、一般的信頼が極端に低い(らしい)日本(在住の)人ならではの素朴な議論だったのだろう。 ここで言う「一般的信頼」とは 「世の中のほとんどの人たちは信頼できる」という質問に対する回答(?)として得られる、他者一般を信頼する傾向のことを指す。そして日本人は世界の中でもそれが極めて低いことが知られている。 まあ俺自身の認識でも他人に対する一般的信頼が高いとは思えないので自分を見るようでつらい(真顔)。 おそらくこの感覚は日本ではほとんどの人が持つ感覚なのでたしかに記事を読む者は納得はしただろうが、プロなら「悪い人っぽいから怖い」で済ませる話ではなさそうだし、そこから先に踏み込めないとなあとは思う。 その「代理人」を精査すべき主体である(かもしれない)日本政府は、これまで人質救出に向けて何ら行動を取っていなかったということもこの記事で明らかにされており、何重にも残念な事態であるのは間違いない。 いずれにせよ、3年間もの長期にわたって黙らせて成果ないんだったらそれは無能の類いであって、ろくな根拠もなく黙れと言った者こそが今度は黙る番だろうな。

最後に、俺の記事が人質解放に悪影響なのではないかと考えた方(はまさかいらっしゃらないだろうが)、そういった意見については 「お前は事実と意見の区別がつけられない間抜けである」とだけ言っておく。ここで書いていることの主題は徹頭徹尾人質を救えという意見であって、なにか新しい事実を主張しているわけではないし、したがってそのような存在しない事実の主張によって人質の生命に悪影響が及ぶこともない。いくらジハーディストだといっても(そしてどれだけ本邦の人間が彼らを狂信者であると見積ろうとも)、シリア征服戦線(旧ヌスラ戦線)のえらい人だって「誰が交渉に際し全権を持つのか」を(少なくともそれは俺や「市民運動」の担い手ではないということを)判断するとか、事実と意見の区別をつけることは能力的に可能だろう、黙ってしまった間抜けとは違って。

最後の最後に余談ですが、
#政府は安田純平さんの救出に全力を尽くせ
このタグに関連して、Twitterの検索式を
#政府は安田純平さんの救出に全力を尽くせ since:2017-01-01
とすると俺(しかも1件)しか引っかかりませんでした。見事にみんな黙ってしまってるよね。これが俺の言う「黙ってる」の証拠でした。勤勉な狂信者に反自己責任論(俺のはそう呼べるような代物ではないにせよ)の議論を埋め立てられてしまっているという事態が世論に与える影響とか考えたことないのかな?他の話と一緒だろうに、なぜこの話だけ黙るのかしらね。俺にはそれが不可解。想定される反応としては「ドイツ(だったか)では救出までのあいだは報道規制する取り決めがある」のでそれを真似ようというものだろうけど、救出しようとする政府の存在があって始めて意味が生じるのであって、そんな政府は本邦には存在しない以上、単に「助けよ」だけ黙るのには人質を救出しないという方針を正当化しかしないので本邦で黙る利点は一切ありません。

2018年8月7日火曜日

合意の上できれいなお姉さんといやらしい事柄を夥しく繰り返したい人生だった。きれいである必要はもはやなくなったが、依然として愛は必要条件ですね。まあどう考えても無理だな。

2018年8月6日月曜日

メモ:「現内閣の各種施策には賛成だがサマータイムだけは反対だ」を成立させる理屈とは何か

受ける。IT屋さんといってもどれだけの人がおるのかしらんが、ロクな判断基準しかなくて「(現状に輪をかけて)デスマになるから反対」というような理屈でしかないわけです。俺の仕事が大変になるからやめて、ぐらいの理屈しかないのであれば安保法制にもカジノ賛成にも理論的な矛盾はなさそう。ほんとうに技術的原理でしか反対できねえんだな。政策原理そのものを衝く、ということがまるでできないわけです。 上の発言に難癖をつけていたIT屋を発見したので、彼の過去発言について検索してみた。彼の反応はこちら: そして彼の発言履歴についての検索式はこちら:
from:wakufactory "安保" OR "平和安全法制" OR "安保" OR "戦争法案" OR "高度プロフェッショナル" OR "高プロ" OR "定額働かせ放題" OR "労働基準法" OR "IR" OR "カジノ" OR "統合型リゾート" OR "特定秘密保護法" OR "テロ等準備罪" OR "共謀罪"
この検索式でヒットした発言は以下の一件でした、ということでこれまでの現内閣による提出法案等については反対でなかったということなのかしらね。発言に噛みついた人間こそがその証明となっているようです。 この発言はべつに反対するものでも賛成するものでもないけれど、まあ少なくとも彼はとくに異議を唱えるほどの反対ではなかったということだわね。自分で証拠を提出しまっていて受ける。 ※追記のメモ
富川キャスターが甲子園の始球式とかどうでもいいことばかりやらされているのでテレビ朝日はゴミで電波を埋める覚悟を決めたんだろうけれど、その決定に唯唯諾諾と従うことなく、 富川氏が夏休みのあいだ、小川さんには更迭を覚悟して独自の特集と激烈なコメントを決めてほしいですわね。まあ彼女個人にそこまでの期待は無理かもしれんし富川氏にもたぶん無理なので、報ステと戦後民主主義はこれでもうおしまいということでFAでしょうか。後世の歴史家にはもちろん「朝日は何度でも間違えた」と整理されてしまうでしょう。知らんけど。
Pixel 2 (8.5x11 Signed Print) がよいな。尾籠な話で恐縮ですがおっぱいとおしりが同時に写っているお写真というのはわりとあれですわね。技術的にはDoFのことがあるし中望遠だと両方にピントを合わせるのは難しそうだ。とはいえそういう視点が芸術的にはまるで不要だろうから、俺が美しいお写真を撮れなかったのは必然のことだったのだな。
‘Are you serious, God? An Asian dude? Really?’ というような話のどこがええのかさっぱりわからん(悪いとも思わないが)ので特筆性が不明だな。俺にとっては他人が他人と結婚したとかいう話は人種や性別に関係なく、全て等しく意味がない。私事の極みなので両性の合意のみにもとづいて勝手にやってくれという話だし、別に当事者も俺に祝福してほしいとは思わんやろ。いまいましいリア充の皆様はお幸せにどうぞ。

2018年8月5日日曜日

相撲協会「土俵は女人禁制」
高野連「甲子園は女人禁制」

そうか、これは「土俵は女人禁制」と同じノリなんだな。高野連は明示的にそれを言うてるのかしらね?言ってたら許されるものでもなくて土俵の話と同様に性差別でしかなかろうけども。

つまりこれは、女性をケガレとみなす、夏の全国高校野球を神事だと捉えている類いの狂信者だかがたくさん高野連におるということやな。まあ高野連にだけおるわけではなくてそんな凡庸なのがどこにでもおるわけだろう。ほんとうに醜悪なことです、狂信者はスポーツに携わるなよ。

狂信者「死刑に反対するローマ教皇は反日左翼」
Twitter日本法人「そうか反日左翼なのか」→凍結

てなところではなかろうか。ほんまに気持ち悪いわな。別に証拠のない話じゃなくて、ローマ教皇が死刑だめですと言うた翌日で、それが起きたのがOECD加盟国中で唯一の死刑制度存置国である日本語圏なわけですので因果関係を疑うなという方が無理。

仮にこの通りであれば、私人間とはいえ表現内容による規制なわけなので、Twitter日本法人はカトリック教会に訴訟を起こされたらいいんじゃないでしょうか。知らんけど。

2018年8月4日土曜日

めざせ250WPM

語数15000のリーダーを1時間で読めると250WPMなわけですが現状はもっともマシな状態でその1.5倍ぐらい時間がかかる。(OBWレベル4でこのぐらい) 俺は今後どれだけ足掻いても250WPMに至ることはないのだな、と思うとちょっと寂しくある。まあそれだけ早く読めても 読むものが見つけられなさそうですが。数学とかオートマトンの本がそれだけ早く読めるなんてことは日本語でもありえないのでまあ無駄な話ではある。 でもほら大衆小説ならどうでしょうか。やはりそれだけ早く読める意義はほとんどなかろうが。

2010年代に入ってなお発売されるメガドライブ新作

日本語で記事が紹介されているものだけでこれだけある。2018年中に発売予定のもののリストを見ると大量にあって海外はええなあという感触を抱いた。こういうハードウェアをしゃぶりつくす感じの文化でないのはどういうわけなのか知らんが、むかし本邦でよく作られていた物についてこういうことはよくあるよね。カメラとかフィルムとかもそう。まあみんな金がないのとメーカーが本邦の人間に対して意地悪なのと両方なんだろう。一般的信頼の低さとはよく言ったものだ、知らんけど。
調べてみるとけっこういろいろとある。すごい。Beggar Princeは台湾の作品だそうだ。数少ないメガドライブのRPGなので本邦でも紹介されるべきだったが、1996年だとするとBEEP!メガドライブ も メガドライブFan もとっくに存在していなかったのでは。
  • C&E Inc. (1996, 1998, 2006). Beggar Prince (新乞丐王子).
  • Watermelon (2010). Pier Solar and the Great Architects.
  • Sacha Darko (2015). Sacha Darko's Sacred Line Genesis.
  • Studio Vetea & Watermelon (2016). Papi Commando.
  • Watermelon (2017). PAPRIUM.
  • Big Evil Corporation (TBA 2018). Tanglewood.
  • Bitmap Bureau (TBA 2019). Xeno Crisis.
しかし Watermelon のサイトを見ていると、ちゃんと新作の Paprium なんかは日本語ローカライズ版も製作して売っているところがすごい。本邦の皆様には英語の壁などハードルが高すぎるのかもしれんが、誰か買って正当なレビューをつけてほしい。俺には金がないので無理。

ちなみに Pier Solar and the Great Architects はダンジョンの難しすぎるJ-RPGという感じなので、途中までは楽しく遊んだのだが当時は遊ぶ時間がなくて途中でやめてしまった。今でもメガドライブ版を正規で手に入れることはできそうではあるが英語版のみではある(メガドライブ版の話)。まあいずれにせよ2Dなのにダンジョンが難しすぎるというのがだいぶ特色ある。会話は全部英語だが演出はよくあるJ-RPGそのもので、主人公の少年と幼なじみのヒロインの冒険物語+(途中から)やたら強い親父、といったどこかで見たような感じは受けるストーリーではある。設定はLUNAR2とかテイルズオブファンタジアに近い印象を受ける。戦闘はFFに似た感じだけどより近いのはおそらくLUNAR2ではないか。これはしかしJ-RPGに対する熱烈な愛の表現だとして受けとめるべきなんでは。知らんけど。

しかしこういうレビューは学術上の文章に残ることは決してないんだから、もっと新聞とか本とか紙媒体でもだし、Automatonだかいったようなwebベースでのマガジンとかでちゃんとレビューとか書いといてほしいわな。記録するといった発想がまるでないのが、公文書に対する感覚にもあらわれてるんですよ。ほんとうにはずかしいな。まあ金がないのが悪いんやな。

2018年8月2日木曜日

メモ: 維新の会のおかげで

すげえな。まあ知らんけど大変やな。

NHKは「自称難民」の文言のみ使用をとりやめたらしい

NHK9時のニュースでNPO法人難民支援協会の人が怒ってらっしゃるが、その人に話聴く前にスタジオでアナウンサーがいろいろ言うてるな。クロ現+での「自称難民」の文言のみ使用を単にやめた様子で、にもかかわらず実質的な説明内容は一切譲らないという悪意ある御様子。