2020年9月16日水曜日

この国では哲学者までが御用商売に走るという好例:『科学哲学へのいざない』

当該箇所を誰が書いてるのかは知らんが、戸田山和久も似たようなことを福島核災害直後に出版したNHKの新書で言っていたので、科学哲学業界の共通了解に近いものなんだろう。伊勢田氏なんかはもっとマトモだったと思ったのだがそうでもなかったんだろうか。ラッセル法廷を開いてしまう某UKの哲学者とはデキがだいぶ違うようだな。本邦の哲学者は認知に大きな歪みを持っている様だ。

2020年9月14日月曜日

巷には交尾ばかりする漫画が溢れている

エロ漫画ばっかり読んでるとみんな幸せそうやな。まあフィクションの話だけどね。といっても漫画の中の世界では登場人物がみんな好き放題に交尾ばかりしてるので、まぁ現実というか俺の現実とは全然違うのだなと思って悲しくなった。 とは言え、国産のエロ漫画は合意のない交尾ばかりしているのでもう国産漫画の時代ではないのかもしれないと思ったりもする。まあ知らんけど。

2020年9月12日土曜日

本のメモ:マーティン・ガードナー『奇妙な論理』、カール・セーガン『人はなぜエセ科学に騙されるのか』

「PCR検査すると医療崩壊が」にまんまと騙された我々日本人全体が研究対象になりそうなタイトルやな。受ける。是非読んでみたい。

2020年9月10日木曜日

メモ:シリコンバレーでは、広告それ自体にもプログラムが書かれている。

すげえなこれ。中抜きして下請けに投げるだけが業務内容の電通には能力的にこういう広告は思いつかないと思う。

2020年9月8日火曜日

K値の意味が分からなかった宮沢孝幸が「PCR検査の意味をわからない人が議論するのは無駄」と言うと、自己紹介っぽくて説得力が違ってくる

日曜日放送の「そこまで言って委員会」で宮沢孝幸が「PCR検査の意味がわからない人が議論しても無駄」と言ったようだが、さすがにK値の意味をわからなかった人がコメントすると説得力が違うなと感じる。

この時点ではとりあえず竹中はどうでも良いし、このツイート主の発言もとりあえずどうでもいい。この放送での通り、「コロナ禍を乗り越える」かどうか、という命題を宮沢が考える時、彼が重要だと考えているのは感染した個人個人のQOLやそもそも生命では一切ないということがこの発言から分かる。宮沢にとって重要なのは「PCR検査の無かった時代と同じ対策で乗り切らなければならない」であって、これは彼のロマンとか美学と言ったものである。つまり僕らは公費でやる公衆衛生に「俺のロマン」を持ち込もうとする愚鈍が医者でなくて不幸中の幸いだったと安堵しなければならないのである。感染者数はより少ない方が善だ、という感染症対策の大前提を共有せず、それどころか「俺のロマンを聴け」といってどうでもいい話を挟んでくる宮沢のような愚鈍はこの議論に参加する資格はない。客である患者(予備軍)の出したオーダーは「一番性能の高い検査を頼む」であってそれがPCR検査なのは偶然だという認識がないと、こういった「PCR検査の意味」というような世迷言を口走って検査そのものを否定してしまうのだろう。どう見ても本邦以外の諸外国は「感染者を増やさないことが善」という前提で動いているし、こういう宮沢のような愚鈍を見るたびにこの国は他の国とはだいぶ違う原理が社会を国を動かしていることがわかって寂しく思う。

余談だけど、議論の建て付けがそのように杜撰だから「1/100作戦」というような「ぼくのかんがえたさいきょうのかんせんしょうたいさく」をうっかり提唱してしまうわけだ。こういうのは馬鹿とは呼べないかもしれないが、考慮すべき要素を全く欠いているし、本人に問い合わせるとおそらく悪びれもせず「そんなことは考慮する必要がない」などと言い出すだろう。

ちなみに彼のK値に対する理解は下の牧野氏の指摘をどうぞ。「PCR検査の意味」から勢い余って結局検査そのものの是非に勇み足をしてしまう人間は反ワクチン勢と同じ箱に入れとくべき信仰の人であって、この分野に関してはいかなる意味でも科学者とは言えないしこいつこそ議論するだけ無駄だ。そういう信仰の人にわざわざ発言の場を与えようとするテレビの罪深さと言ったらない。

2020年9月6日日曜日

韓国産エロマンガ Pheromone Holic 読んだ

韓国産エロマンガ Pheromone Holic を読んだ。よかった。

メモ: 間違えた人々、あるいは嘘つきまたは反人権思想を持つマッド医者またはマッドサイエンティスト

やはり阪大は御用の巣窟と言ってよい状態のようだ。サイバーメディアセンターにせよ附属病院にせよ手を洗う救急医にせよ大変だな。知らんけど。
森井 大一 : 大阪大学医学部附属病院感染制御部医師 「「誰でもPCR」は公費の大半を捨てることになる: うっかり検査を受けた人の陽性・陰性のリアル」   2020/09/04 6:00, 東洋経済

医師なら医師の守備範囲を守って話してればいいものを、医療政策というよりかは「人権の否定」と言った法学上の命題に口出してくるのは万能感の表れなんだろうか。

それよりこの東洋経済の大崎朋子とかいうコラムニストの低能ぶりは本当に何に喩えたらいいのかわからん。彼女は次から次へと厚労省の意を汲んだ系の御用医者(コロラド博士風に言うと「暗記パン医者」)ばかり引き当ててくる、もちろんこう言う低能をコーディネートしてくる屑がいるわけだろう(それが大崎自身でないとも限らないわけだ)が、こう言う人権のジの字も知らないような低能コラムニストに書く場を与えると言う東洋経済新報社は罪深いな。今俺たちは馬鹿に権力を握らせると罪しか働かないと言う真理を安倍晋三という低能をサンプルとして学習しつつあるわけだが、こう言う低能がそこかしこにいて、大崎朋子なんぞもその例に漏れないのだろう。

どれだけそれらしいファクトを言い繕ったところで結論が「したがって保健治療を受けると言う人権を否定してよい」みたいなデタラメな話になるような議論がおよそマトモなわけはなくて、本人もそれは知ってるだろうが(知ってないとなるといよいよど真ん中の低能ということになります)、どうやらそこを押し通せると思っているんだろうね。物凄い揺り戻しが来るという覚悟というか不安はないのだろうか、例えば自分が断頭台を待つ列に加わると言ったような。バレるまでの間はデマゴギーを売って売って売り抜こうと考えているというふうにしか見えない。

2020年9月3日木曜日

きれいなお姉さんと仲良くできない人生だった俺の話聞きたいか。まあ聞きたいわけねえわな。

 女の子と仲良くできない半生だったので人生がつまらないしこれからの人生もつまらないだろう。これは完全に人のせいにしてしまうわけにはいかない。まあ大半は俺の責任だ。ジェンダー論の教科書も読破したのだがしかしそういうことでお姉さんが釣れるわけではねえからな。

2020年9月2日水曜日

メモ:生きるに値しない命を終わらせる行為の解禁

2020年9月1日火曜日

バズフィード日本版のはたちこうた記者の無知無学ぶりに幻滅した件

「茂木大臣が、なぜこのような言動を取ったのかは不明だが、その背景に、日本社会に潜むものと近い差別意識があったとすれば、大きな問題と言えるだろう。」 

ここではたちこうた記者の「差別意識があったとすれば」という話の構造が既に差別のイロハのイも踏まえない議論の方針なのでこいつらは組織としても一切、 人種的差別に対処するつもりはないという方針であることを傍証している。必要なのは「差別意識」といった「意図」の変種の存在を証明できないようなものが存在すれば問題だという話をすることではなく、事実として差別的な効果があったと進めることである。

バズフィード日本版はいちおう会社なので社員らはおそらくセクハラ研修は受けているだろうが、そこで学習するだろう「意図ではなく効果」という話さえも一切内面化されていないことをこのはたち記者の記事は示している。ジャーナリストを名乗る人間どもがこの人権感覚ではオシマイなわけで、実際のところ岩永直子のような政治宣伝とジャーナリズムの区別のつかないうそつきが大手を振ってまかり通る媒体がジャーナリズムとしてまともなわけはない。

はたちこうた記者は以前はデマ退治に血道をあげる記者としてがんばってたようにも思うのだけどやっぱだめだな。低能はしょせん低能のままだ。

「二億四千万の瞳」は80年代以降「日本人すごい」感覚の戦犯

240000000の瞳こそが80年代以降の「日本人すごい」感覚を日本人に持たせることになった原因であったと思う。だから郷ひろみは今日のCOVID-19防疫失敗に対する間接的な戦犯と言える。