2020年9月8日火曜日

K値の意味が分からなかった宮沢孝幸が「PCR検査の意味をわからない人が議論するのは無駄」と言うと、自己紹介っぽくて説得力が違ってくる

日曜日放送の「そこまで言って委員会」で宮沢孝幸が「PCR検査の意味がわからない人が議論しても無駄」と言ったようだが、さすがにK値の意味をわからなかった人がコメントすると説得力が違うなと感じる。

この時点ではとりあえず竹中はどうでも良いし、このツイート主の発言もとりあえずどうでもいい。この放送での通り、「コロナ禍を乗り越える」かどうか、という命題を宮沢が考える時、彼が重要だと考えているのは感染した個人個人のQOLやそもそも生命では一切ないということがこの発言から分かる。宮沢にとって重要なのは「PCR検査の無かった時代と同じ対策で乗り切らなければならない」であって、これは彼のロマンとか美学と言ったものである。つまり僕らは公費でやる公衆衛生に「俺のロマン」を持ち込もうとする愚鈍が医者でなくて不幸中の幸いだったと安堵しなければならないのである。感染者数はより少ない方が善だ、という感染症対策の大前提を共有せず、それどころか「俺のロマンを聴け」といってどうでもいい話を挟んでくる宮沢のような愚鈍はこの議論に参加する資格はない。客である患者(予備軍)の出したオーダーは「一番性能の高い検査を頼む」であってそれがPCR検査なのは偶然だという認識がないと、こういった「PCR検査の意味」というような世迷言を口走って検査そのものを否定してしまうのだろう。どう見ても本邦以外の諸外国は「感染者を増やさないことが善」という前提で動いているし、こういう宮沢のような愚鈍を見るたびにこの国は他の国とはだいぶ違う原理が社会を国を動かしていることがわかって寂しく思う。

余談だけど、議論の建て付けがそのように杜撰だから「1/100作戦」というような「ぼくのかんがえたさいきょうのかんせんしょうたいさく」をうっかり提唱してしまうわけだ。こういうのは馬鹿とは呼べないかもしれないが、考慮すべき要素を全く欠いているし、本人に問い合わせるとおそらく悪びれもせず「そんなことは考慮する必要がない」などと言い出すだろう。

ちなみに彼のK値に対する理解は下の牧野氏の指摘をどうぞ。「PCR検査の意味」から勢い余って結局検査そのものの是非に勇み足をしてしまう人間は反ワクチン勢と同じ箱に入れとくべき信仰の人であって、この分野に関してはいかなる意味でも科学者とは言えないしこいつこそ議論するだけ無駄だ。そういう信仰の人にわざわざ発言の場を与えようとするテレビの罪深さと言ったらない。

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