家族の方の意向はいったいどうなんだろうかと3年前からずっと思っていたが、やはり声を上げられない事情をお持ちだったようである。その証拠に会見の記事の記述を見よ:
Myuさん[筆註:人質の家族の方]は救出への悪影響を考えて沈黙を守ってきた。しかし、銃口を突きつけられた映像を見て、「何としてでも無事に帰ってきてほしいという気持ちがあふれてきた。状況が切迫している」と思い、今月、知人らと「救う会」を立ち上げた
ここで言う家族の方の「悪影響を考えて沈黙を守ってきた」という発言の念頭にある因果関係は、おそらくすぐ近くにいたであろう「悪影響があるといけないので黙れ」とか「安田は助命を求めていない」とか代弁する間抜けの呪縛に囚われた結果に得たものだろう。その呪縛は Twitter でおし黙ってしまった皆さんが囚われたものと同じ呪縛である。
もちろん仮にそうだったとしても、家族の方の今まで沈黙を保ってきた判断は正しかったものだと尊重されるべきだし、それよりは側にいたであろう「友人」や自称事情通だかの与太に被曝してしまっていただろう事情に深く同情するものである。たとえ家族が明示的に「助けて」と言っていなかったとしても、それを「助けるな」の意思表示と解すべきではない、という話を前回「他人の気持ちがわかる間抜け」という表現で説明(はしていないがごく簡単に触れる程度に話を)した。そして、家族の方の念頭にあった事情とは違っていたかもしれんが、その解釈について俺は間違っていなかった。やはり家族の方はずっと安田氏を救出してほしいと考えていらしたのであり、そしてこの家族の方が会見をおこないその旨を主張したことは正しいこととして俺は支持する。(俺に支持されたところで嬉しいものかどうかは知らんが、まあそれはどうでもよい。)
明示的に助けを求めるべきでないとし、またジャーナリストが現地に行く自己決定権を「自己責任」という表現で台無しにした「友人」に告ぐ。その言明は人質に取られた彼の自己決定権を台無しにしたばかりでなく、実際、人質解放に向けて何ら行動を取ってこなかった日本政府の態度を正当化する効果を持ったことを「友人」はよく理解しておくべきである。なお、本人が「(事前にパスポートを取り上げるなどの)自己決定権を侵害するな」という主旨で「自己責任」という文言を用いるのは(それなりに)当然の行為なのでそのことを否定はしないし、それよりはむしろ問題が「代弁」にあることは前回すでに書いた(ような気がする)。
結局、自称「代理人」を切らないでもっと精査すべきだったのではというNewsweek日本版の川上氏の記事がむしろもっとも穏当な話だったのだろうと今では思っている:
自称「代理人」を相手にするな、という議論もある。しかし、スペイン人やドイツ人ジャーナリストが、代理人を窓口とした交渉で無事に解放されていることを考えれば、代理人経由のルートは、拘束組織とつながっているルートであり、まやかしのルートではない。前回とここは意見を変えたところだが、まあ「代理人」というチャンネルで別件での人質解放に成功しているとは知らなかったためであり、この点についてはまったくの不勉強だった。 高世なる人物等が警戒していた、「自称『代理人』を見るとタカリではないかと思ってしまう事情」は、一般的信頼が極端に低い(らしい)日本(在住の)人ならではの素朴な議論だったのだろう。 ここで言う「一般的信頼」とは 「世の中のほとんどの人たちは信頼できる」という質問に対する回答(?)として得られる、他者一般を信頼する傾向のことを指す。そして日本人は世界の中でもそれが極めて低いことが知られている。 まあ俺自身の認識でも他人に対する一般的信頼が高いとは思えないので自分を見るようでつらい(真顔)。 おそらくこの感覚は日本ではほとんどの人が持つ感覚なのでたしかに記事を読む者は納得はしただろうが、プロなら「悪い人っぽいから怖い」で済ませる話ではなさそうだし、そこから先に踏み込めないとなあとは思う。 その「代理人」を精査すべき主体である(かもしれない)日本政府は、これまで人質救出に向けて何ら行動を取っていなかったということもこの記事で明らかにされており、何重にも残念な事態であるのは間違いない。 いずれにせよ、3年間もの長期にわたって黙らせて成果ないんだったらそれは無能の類いであって、ろくな根拠もなく黙れと言った者こそが今度は黙る番だろうな。
最後に、俺の記事が人質解放に悪影響なのではないかと考えた方(はまさかいらっしゃらないだろうが)、そういった意見については 「お前は事実と意見の区別がつけられない間抜けである」とだけ言っておく。ここで書いていることの主題は徹頭徹尾人質を救えという意見であって、なにか新しい事実を主張しているわけではないし、したがってそのような存在しない事実の主張によって人質の生命に悪影響が及ぶこともない。いくらジハーディストだといっても(そしてどれだけ本邦の人間が彼らを狂信者であると見積ろうとも)、シリア征服戦線(旧ヌスラ戦線)のえらい人だって「誰が交渉に際し全権を持つのか」を(少なくともそれは俺や「市民運動」の担い手ではないということを)判断するとか、事実と意見の区別をつけることは能力的に可能だろう、黙ってしまった間抜けとは違って。
最後の最後に余談ですが、
#政府は安田純平さんの救出に全力を尽くせ
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#政府は安田純平さんの救出に全力を尽くせ since:2017-01-01とすると俺(しかも1件)しか引っかかりませんでした。見事にみんな黙ってしまってるよね。これが俺の言う「黙ってる」の証拠でした。勤勉な狂信者に反自己責任論(俺のはそう呼べるような代物ではないにせよ)の議論を埋め立てられてしまっているという事態が世論に与える影響とか考えたことないのかな?他の話と一緒だろうに、なぜこの話だけ黙るのかしらね。俺にはそれが不可解。想定される反応としては「ドイツ(だったか)では救出までのあいだは報道規制する取り決めがある」のでそれを真似ようというものだろうけど、救出しようとする政府の存在があって始めて意味が生じるのであって、そんな政府は本邦には存在しない以上、単に「助けよ」だけ黙るのには人質を救出しないという方針を正当化しかしないので本邦で黙る利点は一切ありません。
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