2018年8月23日木曜日

絵に描いた餅としての「人文学・社会科学の外部性」

税金を投入して人文学[・社会科学]を振興する(略)ためには、教育を受ける本人だけではなく、社会にも役立つという外部性を強調する必要がある。外部性としては二つのものが考えられる。第一に、個々人がよりより選択ができるだけではなく、社会全体での意思決定を行う際に、よりよい意思決定ができるようになるという点である。いわば「公共選択の改善」という外部性である。人文学・社会科学を学んだ人がよりよい公共選択を行えるのであれば、その比率が高まることで、社会全体の意思決定もよりよいものになり、その便益はそれらを学んでいない人にも及ぶ。
ってありますけどもやな。もちろんここで明示的には触れられていないけど「第一の外部性」に含まれているものとしては、 たとえば(内閣提出)法案に対する批判がある。 結局冷笑ネトウヨの類いしか輩出できてない現状では第一の外部性はほぼ皆無としか言いようがないんじゃないの。たとえば、 「歴史を教訓に使うな(要旨)」とか息巻くのがこちらです。 近現代史に治安維持法の教訓を見出さないのであれば共謀罪には徒手空拳で対抗するしかないのだから、いやはや大した外部性ですわね。 かつて教育を受けた本人であるプロにおいてもこんな具合なんだからましてやこれから教育を受ける本人なんぞもっとすごい認識になってそうだ。 個人的には残念ですけども、この現状でそんな外部性の存在があるといったところで鼻白むわ。

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