2019年3月18日月曜日

韓国ドラマ『オクニョ 運命の女(ひと)』(2016)

韓国ドラマをまじめに見たのはこれで一つめですが、いくつか文句がある。
  • 冗長すぎる
  • 冗長すぎる
  • 冗長すぎる
まあそれ以外はすごくおもしろいですが。なんというか、こういう冗長な表現というのは英語圏のドラマだと全部ばっさりカットされてしまうところだし、なんというか本邦のクソな映像表現とも似たところである。もし全部カットできたら1時間x51話というようなNHK大河ドラマよりも長い話づくりにはならなくて、45分x23話ぐらいの長さで済んだのではないかと思う。それぐらい冗長でくどい作りにはなっている。

とはいえ、本邦の糞な映像表現とは違ってストーリーというかコンセプトがしっかりしているので軍配は韓国ドラマに上がります。本邦の映像表現がダメなのは表現方法それ自体だけではなくてストーリーが糞なんである。

まあ誰でも考えてみたらいいと思うのですが、「権力を恣意的に振るう悪を倒す」という勧善懲悪の設定を前提にストーリーを組みたてても、刑事訴訟とか基本的人権とかを全部ぶっとばして出来てしまうが本邦の『水戸黄門』であり『暴れん坊将軍』であり『遠山の金さん』であるわけです。そこ行くと『オクニョ』の主人公たちはどうやって悪を退治するか地に足をつけて考えます。そこが本邦の糞時代劇と全然違う。地に足をつけて考えるから冤罪を防ぐために弁護士を立てよう、弁護士を育成しようという話になるし、なにしろ地に足がつきまくってるから権力者相手に詐欺だってやっちゃうわけです。ここらへんの権力者との対決姿勢というのは、本邦の糞時代劇には全く出てこない視点と言える(断言できるかは知らんが、まあ存在しないだろうな)。

 中世の朝鮮にはウェジブとかいう制度があってこれが現在の刑事弁護士と似たことをしていたようですが、どこまで史実なのかは知らん。まあストーリー自体は史実ではないだろうでしょうが、ウェジブというような制度があったという点はすごく驚かされたところです。まあなんつうか、ええなと。

ですので、主人公を演じるチン・セヨンがすごく綺麗だとかユン・テウォン役のコ・スが男前だとか言う見かけの部分に騙されてはいけないわけです。そういう表層的な部分に目が止まる鑑賞は偽物です。もちろん俺はチン・セヨンが綺麗でないということを言っているのではなく、当然ながらチン・セヨンは超絶に綺麗です

冗長すぎるとは言ったが、このドラマの主人公達が目指す道の延長線上には(フランス革命とかアメリカ独立とかの)近代市民革命があることは明らかである。一方、本邦の糞時代劇にはそれが一切ない。ただこの一点において俺はこのドラマ『オクニョ』を激賞します。なお、『水戸黄門』『暴れん坊将軍』を制作したテレビ屋どもは今すぐ恥を知って死ね。

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