2019年3月4日月曜日

なにが多読だ

しかしこれは既に人生に余裕のある人が更に深みを与えるための余暇的活動の類でしかないことに思い至った。というのも児童書は読んでてちっとも早くならないからである。グレーデッドリーダーを読んで早くなるなんてのはシャブでラリってるのと同じで、最終的には語彙に制限のないものを早く読めるためにはその練習としても語彙の制限されたGRなんぞ読んでてもまるで無意味ということだな。さいしょから手加減のない児童書のみを読むべきだったのだ。ここで取り返しのつかない誤ちを犯したようだ。 まあ多読によって英語を極めるなんてのは幻想に過ぎないってことだな、または年齢を取りすぎたのであろう。 ハリポタが 86 WPM (読了時点) なら ハンガーゲームも 85 WPM である (まだ2/9読了時点) 。これでは遅すぎるし TOEIC ごときであってもこの遅さでは役に立たないのである。 もはや人生に失敗したと言うしかない。 マトモな指導者にもつかず『快読100万語!』が吐き散らした与太を真に受けたせいでこのザマだよ。100万語の作者である酒井氏に責任を取れというつもりもないが、まあいずれにせよ何を読んだとしても100万語では何者にもならないし、仮にグレーデッドリーダーのみを数百万語読んでても児童書という極めて限られた内容の本でさえちっとも早く読めるようにもならん。

結局、この数年で俺が得たものと言えばリーディングとシャドウイングによる耳の鍛錬で得たリスニング能力だけである。まあセンター試験の英語ぐらいなら死なずに突破できるかもしれない程度には強くなったかもしれん(これは幻覚でないことを願う)が、しかしそもそもセンター試験は来年度で終了してしまうのでまるで意味がなく、結局のところ多読によってリーディング能力がなにがしか改善したと言える現象は何もない。グレーデッドリーダーという極めて狭い語彙の枠でならかなり早く読めるようになったことも事実ではあるが、制限のまるでない現実の読書にはほぼ無力であることを痛感している。

もはや何もかもが憎い。第二言語としての英語学習はこんなに与太ばかりに満ちた世界であったことと、自分が無能すぎるということの両方に腹が立って仕方ない。

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