議会制民主主義は、民主政の制度からの逸脱を抑制するために、王政・貴族政を倒したまさに革命の指導者たちが熟慮の末考案した制度です。つまり議会制民主主義は民主主義それ自体ではない。長い目で見れば民意は反映するけれども、そもそもが民主政を抑制するための制度であることは知っておくべき。
— オッカム (@oxomckoe) January 25, 2019
アメリカでは黒人の寿命は白人よりはっきり短い。ネイティブ・アメリカンの生活条件は依然として過酷。それなら多数者によって構成されている議会で、適切な法案が作られるはずじゃないか、そうなっていないのは本当は重要じゃないからでしょ、というのは完全に間違い。議会制民主主義だからです。
— オッカム (@oxomckoe) January 25, 2019
だから民主主義には代表者によって定められた法律を守るというだけでは、民主主義において一番大事な「精神」が遺棄されることになる。偽装した貴族制となる。民主主義の「精神」を守るものは当然法によって決められた統治権力の外での行動が必要となる。これを「直接行動」という。
— オッカム (@oxomckoe) January 25, 2019
この「直接行動」というのは、当然ながら危険なものです。低レベルな言い方をするなら「迷惑行為」に類することもある。指導者にはこの一見して「迷惑行為」あるいは場合によって「違法行為」ですらある直接行動を市民一般と折り合いをつけさせるように運用する手腕が求められる。キング牧師のように。
— オッカム (@oxomckoe) January 25, 2019
しかし、我々も民主主義体制を愛する市民であるためには、既存のシステムでは権利がないも同然になっている人々の直接行動を、単なる「迷惑行為」、「法律違反」などとする不見識は控える必要がある。直接行動は民主政全体のほんの一部に過ぎない議会制民主主義と同様に、民主政に付随する装置だから。
— オッカム (@oxomckoe) January 25, 2019
身分制社会においては、「直接行動」は即牢獄入りを意味していたわけです。切り取り方を変えると、民主政とは「直接行動」も織り込んだ政治体制ともいえる。だから直接行動の態様にもよるのだが、それを単なる「迷惑行為」とするメンタリティは、民主主義の敵なのです。それは考える契機なのです。
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「独立宣言」の起草者トマス・ジェファソンは言いました。「ちょうど暴風雨が自然を清浄にするように、たまに起こる暴動は、政府の健康を保つために悪いものとばかりは言えないのです」と。
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