2019年11月17日日曜日

あのヘイト本Yonda?とか抜かす新潮社にグリシャム『評決のとき』の価値を理解するのは無理

ジョン・グリシャム『評決のとき』の続編が出てたらしいことを最近知った。しかも邦訳が存在しないことまで知ってしまった。本邦はもはや通俗大衆小説さえ外国で書かれたものを読むことはできないようになってるということなんだろう。ヘイト本ばかり出して「あのヘイト本、Yonda?」などと悦に入る新潮社と『評決のとき』が作品の背景に持つ反人種差別という西洋社会の常識はそれはもうイデオロギー的に呉越同舟できない取り合わせだからな、そういうこともあるのかもしれん。知らんけど。

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