2019年8月12日月曜日

ムッシュ楠をご紹介します (追記あり)

図書館の自由が念頭にあるひとは、もちろん特高の残党である公安警察とかとだけでなく、こういう権利を保持する不断の努力をせず先人の勝ち取った基本的人権にただ乗りする間抜けとも戦っているんだわな。そのぐらい俺にでもわかりますよ。
こういう間抜けは現実が予想の遥か先を行く時になんと思うんだろうか。まあ正常性バイアスなのかもしれんが、「メルトダウンは起きていないんだ!」という類の。利用履歴が図書館になるかレンタルビデオになるかと言ったことは本質的な差じゃないので、昔より利用履歴が残るサービスが多くなったということは何も、「図書館の自由に関する宣言」の意義が薄れたみたいな話に結びつけるのは飛躍にも程がある。

レンタルビデオとかメールといった話題を出しながらも、なぜ彼が「利用履歴の種類が時代によって変遷がある」といった技術的な話をしているわけではないか、ということにはそれなりに根拠があって「拷問」が起こりえないという主張にまで踏み込んでいることからそれがわかります。既に拷問が起きているという事実はさて措くとして、彼の主観では本邦は基本的人権としての拷問の禁止が実現された世界であって、レンタルビデオの貸出履歴やメールの内容に関してもそういったことは起こらないと読めるからです。図書館の貸し出し履歴だけ拷問されると、図書館の自由を求める人がそう考えてると彼が考えているのだとしたら度し難い愚かさだしまあそれはないだろう。なので彼の主張の核心は「利用履歴や通信手段種類に関わらずら国家権力に拷問されることはない」という原理的なものでしかありえない。
いずれにせよ度し難い愚かさだな。

 (※8月20日追記) 楠正憲なる人間がただの間抜けであることなんぞ別に知りたくはなかったのですが、現実は楠正憲の想定のはるか先を進んでいたことがわかりました。俺からすると十分に予想できた話だが、だからといって嬉しい話では全くない。

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