2019年8月26日月曜日

同志社は村田晃嗣に良心教育を施すべきであった

同志社では「良心教育」とかいうらしい、内容は詳しくはわからんが目的はまあ一定わかる教育を行なっているらしい。このことは村田晃嗣自身が学長であった当時これをウリにしてきたという経緯がより一層この話を皮肉なものにしているように、かの学校の掲げる「良心」というものは、要約すると「必要があれば違憲立法すべきだ」としか言いようのない、素人でも思いつく床屋政談程度の与太話を、憲法について教養レベルの素養があれば到底話さないようなデタラメを「専門家」として話す、といった行為とは競合しないものだったんだろうか。だとしたらそんな「良心」は価値がないので犬🐕にでも食わせてやるべきだった。

「学者は憲法学者だけではない!」と当時彼がそこで絶叫したのは、彼が主張する理屈の弱さに自覚があったからだろうし、そうでなければ自ら対人論証を仕掛けるといった愚行には出なかったはずである。

こういう曲学阿世の徒は次の敗戦が来た時には何らかの責任を負わせような。民間人だから公職追放はできんがまあ革命裁判にかけるぐらいは(革命が起きていれば)可能なはずである。

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