2018年11月12日月曜日

参考文献をつけたことで怒られた思い出

指導案に参考文献をつけると教育実習先で指導教員から怒られたことを覚えている(たかだか2,3年前の話である)。俺の実習先での指導担当は教師としての力量のある、しかしこのように学のない初老の人であった。彼は「自分の言葉で書く(しゃべる)こと」が参考文献の存在とは競合すると考えていた。これらの事実から、かつての大学教育がいかに無惨であったか、またはそれによっていかにいいかげんな学士様が輩出されていたかを知った。実習の最後に、彼は「君は論文が書きたかっただけなんだろう?」といった捨て台詞を残した。要は俺がアカデミックキャリアの落ちこぼれであったことを揶揄したらしいのだが、しかし修士で教育課程を終える人間なんぞざらにいるわけで、そういった揶揄は事実としても当為としてもおかしな話だよなあ、というのも、参考文献の重要性なんぞは学士時点で全員が認識していて当然の話なわけです(知らない人はレポートの書き方本を参照)、はずかしながら俺自身も学部時点では殆ど認識していなかったが。 教育学部が「身分が低いものとみなされて」きたという話を見て、まさにこういった教員は政策的に組織的に愚鈍さを保つように養成されてきたのだろうと思い至るようになったのが本日この夜更けである。もちろん戦前においては複線性を持つ学校制度だったので師範学校は身分の低いものとみなされていたという事情はなんとなくわかる。たとえば師範学校は中学校を目のカタキにするという記述が『坊ちゃん』にあったように。この師範学校生が持つ苛立ちは身分が低いものとみなされてきたことによる抵抗だったんだろうが、そういった身分制度が戦後になって単線性の学校制度になってからも隠れた身分制度として(もしくは隠されてなくて)ずっと続いていたということなんだろう。そのことはこのツイートを見て始めて知った。それにしても、愚鈍さを保ちながら学校教員は修士修了にしようと考える人らは、もちろんそんな後者の政策には乗り気ではないだろう。俺の指導担当だった教員なんぞは、文科省から見て模範的な養成例だったに違いない。

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