もっとも問題なのは、そもそも PCR 検査への反対理由というのが医療崩壊を防ぐと言う目的にあったはずが、この議論ではそうなっていないことである。PCR 検査に陰性証明を求めたところでそれが医療崩壊につながると言う立論もなく、彼らの主張はもはやPCR検査そのものの否定にあると言ってよい。これは、医療崩壊を防ぐという目的のための検査の否定と言う手段それ自体が自己目的化していることを示しているし、医療崩壊を防ぐといった目的はそもそも彼らにとって全く重要ではなかったと言う本音をも示している。東京女子医大が全学生に新型コロナの陰性確認実施へ 「儀式としてのPCR検査は無意味」専門家が批判
東京女子医大が新型コロナウイルスのPCR検査を医学生や看護学生に実施すると通知し、学生から反発が起きています。感染症の専門家も「医学的に無意味」と批判しています。
「検査して陽性だったらどうするのか」という学生の反論なんぞどうして検査否定に根拠になろう。さっさと入院させて隔離すればよいだけの話である。この岩永直子は本当に悪質だな、嘘を書くにも能力が低すぎて1秒で論破できる根拠ばかり並べて何がしたいんだろうか。もしかして「もう私に引導を渡してください」とか思っているのか。
また問題なのは、そのような他人にとって全く問題の発生しない(「無意味」は他人に有害であることの評価ではない)、他人の判断に土足で踏み込むこの態度であって、この記事は、岡部信彦と岩田健太郎と岩永直子が自分と他人の区別がつけられないことをも示している。人権概念というか「個人」という近代的概念を獲得出来なかった人間は例外なく狂信者にしかならないのだ。もちろん岩田健太郎はマッドドクターにしてマッドサイエンティストであり、コロラド博士によれば神戸「殺人デマゴギー大学」医学部の「有効数字の取り扱いといった高校化学程度のこともできない能力の低い感染症専門医(大意)」といった評価は、彼の能力の低さについて的確だったのかもしれない。
ちなみに高校程度の話で論破できる彼らの主張の技術的なポイントとしては、PCR検査否定派は「なぜか検査を1回と暗黙裡に仮定している」という致命的な欠陥を衝くことができる。ここで感度\(p\;(0<p<1)\)とする。まず2回検査する場合を考え、それをもとに一般に\(n\)回検査する場合の感度\(P_n\)を求める。
2回検査すると、それぞれ1回の検査についての事象は陽性と陰性しかなく、2回の反復試行により1回目、2回目はそれぞれ
- 陽性○、陽性○
- 陽性○、陰性●
- 陰性●、陽性○
- 陰性●、陰性●
の4通りがある。ここで考える必要があるケースは、「陰性である限りは検査を繰り返し、最後の試行では常に陽性となる」事象のみでよい、なぜなら普通の「陽性だとわかったのちにさらに検査をする暇があればさっさと隔離して治療を始めなければならない」からだし、ヘルシンキ宣言のような医学倫理から言っても不要な検査を重ねる意味がない。このことは設計上特異度が100%のために偽陽性が存在しないことからも補強される。したがって上の4ケースのうち必要なのは3ケースだが、このうち2ケースをまとめて
- 陽性○、陽陰どちらでもよい: \(p\)
- 陰性●、陽性○: \((1-p)p\)
この場合の確率の和を考えればよい。陽性となる確率\(p\)とすると陰性となる確率\(1-p\)であることを用いて\(P_2=p+(1-p)p=2p-p^2\)であり、受験ぽく余事象を考えて\(1-(1-p)^2 \)とするのでも同じ結果になる。
以上の考察より、検査を\(n\)回行うと考える場合の感度を求められる\((n\in \mathbb{N}\))。「陰性である限りは検査を繰り返し、最後の試行では常に陽性となる」ので
- 陽性○
- 陰性●、陽性○
- 陰性●、陰性●、陽性○
- …
- 陰性●、陰性●、…陰性●、陽性○
この話のうち高校数学の範囲に含まれない点は「何回検査をすればいいのか」という具体的な点である。おそらく PCR 検査否定派の主張は「検査の感度が100%でなければ検査をしてはならない」という主張ではないと思われる (99.5%以上でなければならないと主張しているようには読めない、それだと有効数字2桁でどのみち100%である) ので、「感度が99%を超えるなら検査してもいい」という主張だと解釈することにする。
\(p=0.7\) とすると \(P_n>0.99\) をみたす最小の \(n\) は \(0.01>0.3^n \) をみたす \(n\) であり、\(n=4\) のとき \(0.01>0.3^4 =0.0081\) であり、同様に \(p=0.9\) のとき \(P_n>0.99\) をみたす最小の \(n\) は、\(n=3\) のとき \(0.01>0.1^3 =0.001\) であることから
- 1回あたりの感度が 70% であれば、最低 4 回実施すると感度 99% 以上と同等の検査と見ることができる
- 1回あたりの感度が 90% であれば、最低 3 回実施すると感度 99% 以上と同等の検査と見ることができる
と言える。実際の感度は、インペリアルカレッジのCOVID-19レスポンスチームの報告16 (孫引きですみません) によれば感度 80% 以上 90% 未満、特異度 100% ぐらいのところなので、これが 1 回あたりの感度なのだとしたら実際 3, 4 回やれば問題なかろうことがわかる。実際の運用でも 1 回こっきりで陽性陰性を決めているわけじゃないようで鼻咽喉スワブと痰と使って 2 回とかやるようだし、唾液であればもっと簡単に検体が取れるわけだから、あとは検体を複数回に分けたあとに全自動検査機を物量に物を言わせてぐるぐるするだけであろう(千葉のメーカーの全自動検査機が本邦で認可が下りていないという話は些事であって議論には関係ない)。少なくとも 2 回に分けるだけで述べ 4 回できるが、検体採取から手続きを分けないと確率は上がらないのかもしれん。だとすればさっさと長い綿棒をしこたま買えば済むだけだし、唾液にするだけで問題がなくなるだろう。依然として結論に変更はない。
このような高校数学の範囲プラスアルファで瓦解する主張な訳である (瓦解してなかったらすいません)。何が「 PCR 検査は無意味」だ低能どもの嘘つきどもが、これまで PCR 検査が必要な病気が存在しなかったと医者が考えているならヤブ医者だし、医学ジャーナリストにしても即刻筆を折るべきレベルの認識だろう。要するに彼らは達成したい政治的目標があってこのような政治活動を行っているのだと解す他はなく、岩田健太郎にしてみれば「フェミニズムは学問ではない」というのが彼の信条らしいが、同様に彼の医学もおそらく学問ではないのであろう。
このような高校数学の範囲プラスアルファで瓦解する主張な訳である (瓦解してなかったらすいません)。何が「 PCR 検査は無意味」だ低能どもの嘘つきどもが、これまで PCR 検査が必要な病気が存在しなかったと医者が考えているならヤブ医者だし、医学ジャーナリストにしても即刻筆を折るべきレベルの認識だろう。要するに彼らは達成したい政治的目標があってこのような政治活動を行っているのだと解す他はなく、岩田健太郎にしてみれば「フェミニズムは学問ではない」というのが彼の信条らしいが、同様に彼の医学もおそらく学問ではないのであろう。
※2020/05/18追記
なお、本来は検査の精度を感度とかの確率で考えるのは間違いなのだそうで、検出限界という概念を理解すべきなんだそうだ。国立遺伝研のカワカミ氏がそう発言されている。positive percent agreement とかはそこにどう入ってくるんだろうか。
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