地元の本屋に行ったら壁一面の百田本であったが、その隣がやはり同様の大川隆法本であって、まあそういうことなんだなとため息をついた。
— ねずみ王様 (@yeuxqui) 2018年12月1日
ビジネスとしては、そういうものの延長線上にあるのだろう。
— ねずみ王様 (@yeuxqui) 2018年12月1日
大川隆法のとなりに百田本が置かれているの見て、つまりはそういう商売だということを痛感した時に漏れた自分のため息の意味を考えている。面倒くさいことだ。
— ねずみ王様 (@yeuxqui) 2018年12月1日
書物の作り方としてはテレビの番組作りと同様である(たぶん)。書物がテレビと違うのはしかし「著者」なるものの存在であるが、おそらくそれはテレビの冠番組の冠に当たる。売り方としては宗教関係と同様である(棚の作り方がそう見える)。それは教祖の固有名が冠に当たる。ただこれは外からの観察。
— ねずみ王様 (@yeuxqui) 2018年12月1日
インターネットよりも、実書店の売り上げを狙う売り方に見える。
— ねずみ王様 (@yeuxqui) 2018年12月1日
たぶん棚を面で押さえると、面積に比例して売り上げが伸びるのであろうが、かなり全国津々浦々的にやっている(ようにみえる)。書店業界が総力をあげている観がある。
— ねずみ王様 (@yeuxqui) 2018年12月1日
中身についてはコピペ満載のようだが、テレビのバラエティに作り方が似ているとすれば、容易に想像されることである。もちろん内容は、日本(人)スゴイというパターンであろう(おそらくテレビのほうも基本何かの記事からの複製で番組を成立させているはず)。
— ねずみ王様 (@yeuxqui) 2018年12月1日
日本(人)スゴイをコンテンツとしているかぎりにおいて、テレビと連動したものであると考えることができる。
— ねずみ王様 (@yeuxqui) 2018年12月1日
最初の話に戻ると、形式面だけに着目すると、戦後新興宗教の教祖本と結果的に同様のスタイルでの展開になっているということは、むしろ戦後新興宗教の意味を説明するものだと考えた方がいいかもしれない。そしてそれが政治的にも連動していることには、偶然以上の意味があるように思う。
— ねずみ王様 (@yeuxqui) 2018年12月1日
日本会議と幸福の科学と幻冬舎とテレビ局
— ねずみ王様 (@yeuxqui) 2018年12月1日
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