再受験しようと思っている。このまま無駄に生きていても未来は開けない。
現時点で年齢によらず仕事できそうなのはもはや医師と弁護士ぐらいしかないだろう
(実際にそうかどうかはともかく)といった現状を踏まえた上でもなお、俺がやるべき分野は計算機科学または数学しかないと思っている(高1種免許取得が依然として念頭にあるため)。
俺は医師にも弁護士にもならないしなれない。
親類には医者がいるが彼女も再受験の末に医学部の合格を掴み取った。それはほんとうに凄いのだけど、俺がそれを真似することはおそらくない。
本邦で再受験する価値があるのは実際それらだけかもしれんとしても、
しかしながら、短期的な打算だけから(彼女がそうだと言ってるのではない、念の為)勉強したいわけでもない分野を勉強するモチベーションを維持することは俺にはできない。
学位が取れても取れなくてもいずれ死ぬだけかもしれない。俺は5年前に修士を「新卒」で修了した時点で既に中年であったという特殊な状況であったし、もはや父親は後期高齢者である。学部からやりなおして学位が最短9年で取れたとしてもおそらくそれまでには親のすくなくとも片方が死んでいる予定である。学位を取れたところでその時点で高齢ポスドクの誕生である、年齢差別の世界にようこそ。そもそも学部が入学できない可能性だってけっして低くはないどころか高い。要するに学力の要素を含め、殆どの要素ほぼ詰んでいるわけである。短期的には学費よりはそちらの心配が大きい。
まあでも死んだとしても、子供がいるわけでもないし責任を負う相手がいないのは幸いである。どこで飯を食うアテもなくなった場合には、のたれ死んでしまうしかないだろう。俺がもしいよいよのたれ死んでしまうとなった時には生活保護をもらうなどして、大学院重点化政策などといったふざけた政策を導入した文科省を呪いながら余生を送るつもりである。
父親はどうしようもない差別主義者(『ユダヤ人と日本人』を愛読し、中国関連のニュースを見るたびにテレビに向かって悪態をつく男と言えば話は早いだろうか)なので彼に苦労をかけることについては特に後ろ暗い気持ちはない。しかしここへ来て俺は母親に愛されていたのだと気づいた。母親に恩返しをしたいのだが、俺が生きている限りそれは実現できそうにない。俺がまだ人生に絶望していないうちに恩返しをしたい。ただそれだけが心残りである。
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