2020年4月13日月曜日

COVID-19 の蔓延で首相に対峙するのが東京の人々だ

以前、街頭へ出てデモをしようと言う提案(?)をした。その考え自体はほとんど変わってないし、撤回するつもりもないが、すこし解釈を変えることにした。この東京で、緊急事態宣言が出た今もなお、街へ繰り出す人々が減らないことで東京は終わったなどと考える人が少なくないとは思うのだけれども、おそらくこの終わりこそが、本邦での頑健な民主主義を手に入れるための手続きの始まりなんだろうと思うことにした。ちょっとだけな。少なくとも、休業補償がないためにロックダウンができない人のことを愚かだということは俺はできない。

カタギの人は皆、保証給料保証が得られないことで仕事に出なければならず、そして風邪をひいただけでは仕事を休めないと言う奴隷的な地位に甘んじることで、そしてそのために通勤を止められないことで、それに対する抗議をまさに今行っているんだ。抗議の手段はCOVID-19の蔓延である。この病気を武器として使うことで、政権の座にいる奴らにこれを渡そうとするデモなんだと解釈できると思う。彼らの多くは奴隷なのでもちろんそんな意図はないけども集団として目指しているゴールは明らかにそれである。だとすればわざわざデモなんかする必要なくて、日常を続ければ良いと言うことになる。まぁこれだと何も好転はしないんだけどね。政治に関心なんか持たないとしてこれまで投票してこなかった間抜けは今後も依然として馬鹿なままかもしれないから。でも多くの人は一定程度気づいたと思う。

COVID-19の蔓延は日本の先進国としての終わりではあるだろうが、韓国や台湾のような頑健な民主主義を手に入れるための戦いの始まりなんだと思う。東京の多くの人はこれで、腐敗する権力や腐敗するメディアが日々の生活の助けになるのかどうか、また自分の人生や社会にとって、必要なものなのかそれともあってはならないものなのかと言う判断がついたことだと思う。このことで公権力を放置すると必ず腐敗する、そのために憲法で制限しないといけないと言う認識を全ての人が得たわけです。まあ実際、立憲的意味の憲法ってどういうものかを布教するなら今が絶好の機会なんじゃないの。ここで腐敗した権力を目の当たりにしても私人の方を撃ってばかりいる法学者なんかは街灯に吊るすしかないわけです。

休業補償がなくて仕事をやめられない人はどうぞこれまで通り仕事を続けてください。あなたが家族のためにまたは自分が生きるために頑張ることでCOVID-19が蔓延し、そしてそれが安倍晋三に渡ったとき、そして山口4区の有権者に渡った時、戦後民主主義とおさらばするだけではなく、大日本帝国の亡霊とおさらばすることができるかもしれません。だいぶ他力本願ですけど。その時はついでに法学者にも渡せるかどうか試してみてほしい。

とは言ってもやっぱり多くの人が死ぬだろうな。CFRがイタリアでは10%を超えるようなので、人口あたりICUベッド数がその半分以下である日本においては値を奮発してCFR 20%位だってあるかもしれん。コロラド先生は4人に1人が死ぬのが見積もりの上限だと言っていたので、その場合CFRは25%ということになる。まあ俺の20%に根拠はない。ただしイタリアよりはひどくなるだろうと思う。

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